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ゆでたまご先生の「キン肉マン以外の漫画」列伝

概要

漫画家のゆでたまご先生は、1979年に『キン肉マン』を連載開始。
それが大ヒットして、1987年まで続きました。

『キン肉マン』の後は、1987年~1991年にかけて、『ゆうれい小僧がやってきた!』(41週)、『SCRAPスクラップ三太夫』(17週)、『蹴撃手キックボクサーマモル』(32週)を連載。
3作品続けて成功せず、先生はジャンプを去りました。

いちおう、10週とかの打ち切りはないのですが、3作品とも終わり方の打ち切り度はハイレベルでした。

それから、1993年~1996年くらいに、月刊少年ガンガンで『ライオンハート』、デラックスボンボンで『トータルファイターKカオ、月刊少年エースで『グルマンくん』を連載。
これも、極端に短期ではなかったのですが、どれも1年半くらいで終わりました。

その後、1997年~2011年に『キン肉マンII世』を描いて成功。
2011年~現在は『キン肉マン』の続編を連載しており、特に「完璧超人始祖編」は傑作でした。

大体そんな感じの「ゆでたまご作品」について、ざっくり紹介してみたいと思います。

 

『キン肉マン』

『週刊少年ジャンプ』の20周年の特集記事では、ゆでたまご先生は「デビュー年齢の若さ No.1」とされていました。

『週刊少年ジャンプ』1988年13号(No1は「デビュー年齢」の定義で諸説あります)

1978年に『キン肉マン』が赤塚賞に準入選したとき、ゆでたまご先生は高校生で就職も決まっていたという話は、広く知られるところです。

「低学年層の取り込みが急務だと考えていた西村繁男編集長は、大阪のゆでたまご(嶋田隆司と中井義則)のもとへ飛んだ。
すでに就職の決まっていたゆでたまごのふたりを翻意させ、プロの漫画家の道にすすむよう説得したのである」
「もし失敗したら、再就職先を世話してもらえますかと、西村に聞いたところ、西村は『世話しようと答えたという」

後藤広喜『「少年ジャンプ」黄金のキセキ』

「わたしは、担当者を買って出た中野和雄をともなって、ゆでたまごの両親説得に大阪へ飛んだ。
万一漫画家としてやっていけなくとも就職口くらいはなんとかすると大見得をきり、2日がかりで両方の親の承諾をもらった

西村繁男『さらば、わが青春の「少年ジャンプ」』

そうして、ゆでたまご先生が高校を卒業してすぐ、『キン肉マン』の連載がスタート。

1979年22号

1979年22号・29号・39号の表紙でキン肉マンの顔が緑色に塗られていたことも、肉界隈では有名です。

編集長の期待の表れか、『キン肉マン』は開始当初から表紙やカラーが多かったです。
しかし、連載第1話は、表紙をもらっていながら漫画は183ページからモノクロで掲載という微妙な扱いでした。
(編集長の『キン肉マン』プッシュに反対の編集者もいたそうで、そういう落とし所だったのかも??)

連載第1話はモノクロ(1979年22号)。これ以前に、読切が2回載ってます

この『キン肉マン』が、編集長の目論見通り、低年齢層にミラクルヒット。

「キン消し」などのキャラクター商品も爆発的に売れます。

1984年35号

「超人募集」の応募総数16万通など、ケタが狂っていました。
(この誌面掲載だけで倍率8000倍という超難関です)

そのわりに「大きなお友だち」の人気は低くて、『アニメージュ』の投票では11票しか入っていません。

『アニメージュ』 1985年6月号

ジャンプで163296通、アニメージュで11票の温度差はスゴイです。

ともあれ、7年の連載の果てに迎えた最終回は、本誌掲載時にはこんな感じでした。

『週刊少年ジャンプ』1987年21号

これが単行本では、ちょっと長めに描き足されました。

『キン肉マン』第36巻

「オレの負けだキン肉マン…」「許すことなど何もない…」の会話は、単行本で追加。
一方、ジャンプ掲載時の「甦れっ 兄弟よ!!」という台詞は、単行本では単に「フェイス・フラッシュ!!」と叫ぶだけになりました。

消えた台詞

「甦れっ 兄弟よ!!」の怖さ、個人的には好きです。

 

『ゆうれい小僧がやってきた!』

『キン肉マン』は、「正義超人」や「悪魔超人」がリングで戦うプロレス漫画でした。
それが一大ブームを巻き起こしたので、次回作には、読者も編集部も大いに期待しました。

1987年21号が『キン肉マン』の最終回で、1987年34号には、もう次の連載が始まります。

1987年34号

このとき、ゆでたまご先生は26歳。
『キン肉マン』の次に描く題材は、ホラー系でした。

『キン肉マン』の第1話がモノクロだったのに対して、新作『ゆうれい小僧がやってきた!』は、第1話・第2話・第3話が巻頭カラーという、超特別あつかいです。

※1988年には、大ヒット作『キャプテン翼』の作者が次に連載したテニス漫画『翔の伝説』も、第1話・第2話が巻頭カラーという特別扱い(からの無情な打ち切り)でした。

当時のジャンプには、『ジョジョの奇妙な冒険』(第1部)と『ゴッドサイダー』も連載中。
『ゆうれい小僧がやってきた!』は、いちおう、3つめのホラー漫画という感じになるのですが……。

『ゆうれい小僧』開始号(87年34号)の『ゴッドサイダー』
『ゆうれい小僧』1話(87年34号)

……という感じで、特に内容がカブってる印象はありませんでした。

また、人気が伸び悩んだのか、怪奇路線は最初の方だけ。
すぐに「善行妖怪」や「悪行妖怪」がリングで戦う、『キン肉マン』みたいな漫画になりました。

そうして「日本妖怪vs西洋妖怪」という7人チームの団体戦をやっているところで、打ち切りが決定。

完全に話の途中なのに終わってしまって……。

「やった! トーテム・キッドを倒したぞ!!」
「西洋妖怪首領の凶竜妖怪エルシリアを倒さねばならぬ!!」
圧勝大期待!!
おわり

通常、打ち切り漫画でも「終わり感」くらいは出そうとするものですが、この漫画は完全に話の途中でブッタ切っただけ。
最終回だと示す文字も目立たず、ジャンプでこれくらい最終回に見えない最終回は、そこそこ珍しいです。

(単行本では、この後12ページほど申し訳程度に続いて、エルシリアを雑に倒します)

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