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好きなものを食べる

明けましておめでとうございます。生きて2021年を迎えられたことを嬉しく思います。人生で最大級の揺れ(国試や退職等)があった2020年を生き抜いた自分は本当に偉い。めちゃくちゃ偉いので今日もまた炊飯器クソデカプリンを作った。

炊飯器クソデカプリンを友達に教えてもらってから作るのはこれで3回目になる。3合用の炊飯器いっぱいに卵と牛乳をぶち込んでポチッと押せば、たちまちプリンになるのだからすごい。コスパ最強。ただしその間米が炊けなくなるので諸刃の剣なのが痛いところだが、ご飯の代わりにプリンを食べればいいじゃない?

思えばコジカは、好きな食べ物は飽きるまで延々と食べる性格だった。高校を卒業し大学に入学してそれなりの自由を手にしてから、顕著になった。大学の頃通ったつけ麺屋さん(もちろん1人で行く)はスープの味がいつもと違うと批評し(もちろん心の中で)、消費税増税に伴ってなんの予告もなくサラッと値上げしたことにブチ切れ(もちろん心の中で…)、最終的には東京に引っ越した後も取り寄せをするようになった。おかげでコジカの血液はドロドロだ。

食への執着が異様に強いことを自覚したのは、適応障害になってからだ。治療の一環で毎日のしたことに‘%’の評価をしていくという記録をすることになって、お風呂や歯磨きが30〜40%(めんどくさいのでやりたくない)だったところ、ご飯を食べることは70〜80%と明らかに人生の幸福をブーストしていた。

要するにコジカは食事で幸福を得、ストレスを発散していたのだ。

にもかかわらず、研修医をしていたころ、コジカは真っ先に食事時間を”削った”。

病院内のコンビニでなんとか美味しそうなものを選び、カルテを打ちながらおにぎりを食べ、当直のご飯はいつも冷めたものを口に運んでいた。コロナのご時世も相まって、コジカの食事はただのエネルギーチャージの作業と化した。こうしてコジカは、労働の疲労を回復できず翌日に持ち越し、騙し騙し働くうちに精神が限界を迎えてしまったのだ、おそらく。

そもそもどうして自分が好きなものを食べることが幸せなのだときづかなかったか、というと普通に「バランスの良い食事を食べる」ことが正しい、良いことだと思っていたからだ。もちろん一理ある、一理あるがその一理より「好きなものを食べる幸福」の方が遥かに重要で、自分を幸福にすると気づいてしまったからには、コジカは偏食街道を生きていく。足りない栄養はサプリとかから適当に補えば良い。コジカは栄養が偏って死ぬより、精神が死ぬ確率の方が高い気がする。

というわけで今年の目標は「美味しいものをたくさん食べること」にしました。少しずつ自分という人間を学んでる最中なので、美味しいもの以外にも自分の好きなことをたくさん見つけていけたらいいなと思います。

おわり。

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