見出し画像

なんのために生まれて、なにをして生きるのか(畑記録)


畑にあるイチジクの実が熟すのを待っていたら、昨日カナブンが2匹も突っこんでいて、子は涙目でコラーッとカナブンに一生懸命怒ってた。なので少し早めに収穫してみたけれど、甘くて良かったね。平和だ。



高校の頃は物理や数学が得意で、それが人生に何かもたらすとは想像もしなかったんだけども。

ばらばらなようにみえることすべてにおいて、エネルギー保存の法則は真理だったんだ、ととらえるようになった頃から人生に魔法がかかり始めたよう。

20代、自然農や盆栽を学んだなかに
30代、ことごとく感情や意思疎通に惨敗した短い国際結婚で
今は子どもが育っていくのを見まもっているなかにも、
実体あるものもないものもすべて、
エネルギーはカタチを変えてめぐっているだけで
不増不減だという自然律を見い出すようになって、
生きることはとってもシンプルになった。

なんのために生まれて、なにをして生きるのか、
というアンパンマンの問いの答えは、
過去から未来へ、他の存在から自分、そして他の存在へ、
エネルギーを受容し、解放するというバトンだよね、と思う。

-

という具合で、なりゆきまかせな畑のこともまた、収穫することより、土地と植物と自分の間でエネルギーがめぐる環を模索することに意識が向いていて、実るのはイモと豆ばかり。

畑の桃の方は、生理落下しそうな実を取り除いたくらいで、ほぼ摘果せず見守っていた結果、手の中におさまるほど小ぶりなまんま、風の強い場所のせいもあってかほとんどは熟しきる前に落ちて蟻さんのごはんになり、お盆を過ぎてのんびりと熟した実は、甘酸っぱく少し渋い味がした。

来年はもう少し摘果して様子をみようと思う。

自然に委ねる範疇を侵害したくないという思いで、つい介入を控えて観察に走りがちだけれど、自分も環の一員として手足を動かしてできる労働はもっと介入をゆるすことにしたい。

やっと膨らみ始めたえんぴつ茄子
草の中に存在感を示してきたニラ
サツマイモはいたって元気

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?