会話と地雷原

人との会話は自分にとって地雷原を歩くのと同じ行為だったりします。

自分はあまり人と会話をするのが得意ではなくて(嫌いではないんですけど)、相手が話題を提供してそれに対して反応しながら会話を展開していくパターンはどうにかなるのですが、自分から話題を提供するのは苦手です。

地雷原で例えるなら、相手が話題を提供してくれるパターンは地雷のないルートを相手が示してくれるような感じで、自分から話題を提供するのは地雷のないルートを自分で構築していくような感じです。

このルート構築は相手についての情報量で構築のしやすさが変わるので、友達であればある程度地雷が見えていて、初対面の人であれば全部の地雷が見えない状態での構築になる感じです。

ですが、友達とはいえ見えていない地雷もあります。

最悪、初対面の人の地雷を踏んでもその後二度と会わなければそれでいいのですが、友達の場合は絶対踏むことができないので、初対面の人より地雷が見えているはずなのに初対面の人より緊張しながら会話することもよくあります。

好きな人との会話なんて楽しいはずなのに本当に地獄です。

これでまだ話力があればなんとかなるのでしょうが、残念ながら自分の好きなことしか話せなく、その話もうまく話すことができないので、相手を退屈させることが多いです。

周りの人たちは地雷なんて気にしないで会話をしているのに、自分は地雷に怯えながら会話するなんて、なんだか惨めだなぁ〜って。

でも地雷を踏んで仲違いするくらいなら怯えながら会話する方がマシなのかな。

間違っているとは思うんですけど。


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