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新刊『日本人に合ったがん医療を求めて』を発刊して感じたこと

「仕事の重心」のシフト

先日、『日本人に合ったがん医療を求めて~医師、患者、家族の方々に一番伝えたいこと~』の見本を著者に届けに行って、久しぶりに話をした。なにか苦労が報われるような思いだった。

「出し切って、満足している。この分野で先駆的な仕事ができたとしたら、嬉しい」。そう言っていただいて、仕事が完了した気がした。中身が完璧だというのではない。出し切ったというのは、長年のテーマを本の形にする過程でご自身の深いところを表現しえた、思い残しはない、という意味だと思う。それは編集者冥利に尽きるし、きっと読者にも伝わるだろう。

また、「売れてほしいという期待より、わかってくれる人に届いて欲しい」という言葉もあった。出版社で編集をしていた頃は、水準以上のコンテンツに仕上げることで販売部数を求められたが、仕事の重心がより川上へとシフトしたのを感じる。

川下については、今後、読者と対話し、本のテーマをさらに深掘りする機会も生まれてくると思う。本は出して終わりではなく、その続きがあるはずだ。先日も、ごく少人数の集まりでこの本を紹介し、参加者と対話する機会があったが、患者の家族や病院関係者が自身の経験に引き寄せて率直に語るのを聞いていて、がん医療における「医師と患者の関係」というテーマは関心が高いと改めて感じた。

患者の家族の願い――結果よりもプロセスを

そもそも、患者や家族がこのテーマに関心を持つのは、自然なことだ。がんは生死にかかわるのだが、渦中では患者も家族もいったい何が起こっているのか、これからどうなるのか、まるで見当がつかない。軽いパニックに陥り、不安で仕方がないので、経験と見識のある医師に支えてほしいと思っている。しかし多くのケースで、医師が冷たい。患者を見放すような一歩引いたスタンスなのが、治療法の説明を聞いていても、言葉の端々に現われる。「末期がんだから、もう治らない」「下手に希望を持たせると、後でトラブルになるから、距離を置いておいた方が良いだろう」。クールな言動の背景には、そういう判断がある気がする。

しかし患者も家族も、病状が厳しいことはわかっている。最初は受け入れがたくても、「これは厳しいかもしれないな」とだんだん覚悟していく。だから本当を言えば、がんが治るか/治らないかという「結果」より、共に最期をどう過ごすかという「プロセス」が大切なのだ。この機会に、数年前に母をがんで亡くした経験を振り返って、そう思った。著者には母の生前、セカンドオピニオンを相談していたのだが、治療に対する家族の不安を和らげ、がんとの共存や長期延命の希望を残し、前に進むことができるよう、支えてもらった。

がん治療には様々なリスクが伴う。がんはもう治らないかもしれない。しかし、仮にそうだとしても、訴えられないように治療のリスク面ばかり強調するのか、それとも、たしかにリスクもあるが、対処の仕方もある、うまくいけば長期延命も期待できると、希望を持って治療を進められるように、患者や家族を支えようとするのか。それは「医師の役割観」の違いによるものだと思う。

医師の役割とは――プライドを手放す

著者は本の中で、こう書いている。

「あるお医者さんが、進行がんの患者さんを診ていると『しんどい』と言っていました。診ていると疲れるから、深刻な患者さんを診る回数をセーブしているというのです。失礼な話だなと思いました。それなら医師をやらなければいいと思います。(中略)
 しんどいと言うお医者さんは、進行がんはもう治らないと思っているのだと思います。『偽りの希望を与えてはいけない』ということかもしれません。(中略)たしかに、『どうせ、この人は死んでいくのだ』と思っていたら、患者を助けられない無力感におそわれます。その中で平静を装うのは、たしかに疲れるでしょう。
 でも、人間は死ぬまで希望を抱くものです。進行がんの人の抱いている希望とは、必ずしも完治ではありません。何とか来年また桜を見たい、娘の結婚式に出たい、会社の設立記念パーティに出席したい、それまで何とか生きていたいという素朴な希望です。患者さんがわずかでも希望を持っている限り、客観的には逆転は難しいかなと思っても、我々医師は神様ではないので、可能性はゼロだとは言えません。そして、こういったささやかな希望を持ち続けてきた人の夢が実現し、共に喜んだ多数の例を、私たち医療従事者は少なからず持っています」

そのとおりだと思う。患者も家族も、何があってもがんを治してくれなどと思っていない。せめて、苦痛を少し和らげてほしい、本人のささやかな望みが叶えられたら、と思っているだけだ。

「医師がこう思いすぎなのです。『自分が患者さんを救ってあげなければならない。進行がんを治してあげなければいけない。でも、できない』。それはそうです。がん医療はまだ不完全だし、人間のやることだから、必ず限界があります。だから、医師も肩の荷を下ろして、一緒に悲しんだらいいのです。
『がんで死んでいくのは良くない。医療の敗北だ』と言うのですが、日野原重明先生もおっしゃっているように、医療は最終的には必ず敗北します。人はいつか必ず、死ぬからです。がんが治ったとしても、他の病気や事故で亡くなるかもしれません。
 日野原先生は、本当にいろいろな方に計り知れない良い影響を残していった。すごいインパクトを与えていったと思います。でも、それは日野原先生だけでしょうか。いいえ、市井の名もない方も、最後の命のエネルギーを使って大切な何かを残し、死んでいくのです」

医師と患者と家族で、共通前提として、例えば、上のような医療観を共有していれば、もう少し、がん医療も変わるのではないか。どんな人間関係でも前提を共有できていないと、話が通じないだけでなく、不信や疑心暗鬼が生まれてくる。だから、立場の違いを際立たせ、訴訟を前提にする「インフォーム・ド・コンセント」ではなく、治療の意思決定のプロセスを医師と患者が共有していく「シェアド・ディシジョン・メイキング(協働意思決定)」が米国で主流になり始めているのだろう。

もちろん、上のような医療観は、医師がプライドを手放さないと、到達できないものかもしれない。医師ががんを治せないこともあるという限界を認め、受け容れ、患者もそれを理解し、それでも、医師、看護士はじめ医療者が不安に怯えている患者やその家族に何ができるのかと、腰を据えて考えることだからだ。

どんな対人サービスに対してでもそうだと思うが、「ひとりの人間として、誠実に関わってほしい」という願いが、表立って口には出されないが、多くの人に潜在しているのを感じる。逆に言えば、システムばかり整備されて、肝心なことが抜け落ちてしまっているのだ。

今後、AIやビッグデータの時代が進むと、ますますこのことの重要度は増すと思う。システムを整備して、様々なトラブルを避けたとしても、人は自分の人生に納得感を持つことなどできない。それはあくまでも、深い人とのかかわりあいの中で生まれるものだからだ。

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