【連載】ちろうのAKB体験記:第6回 ■ チームA3rd『誰かのために公演』始まる

■チームA3rd『誰かのために公演』始まる

チームKの「青春ガールズ公演」が盛り上がり始めると、間もなくA2nd「会いたかった公演」は千秋楽を迎えることとなった。結局会いたかった公演が上演されたのは4ヶ月ほど。この頃はだいたい4ヶ月、早ければ3ヶ月といったペースで新公演が発表された。後に「A6th 目撃者公演」であれば2年以上、「S3rd制服の芽公演」であれば3年以上も同じ公演をすることになること等からも考えれば、驚くべきペースだが、こんなに素晴らしいセットリストが過去のものとなっていくことがとてももったいないと感じた(後に姉妹グループや新チームの登場によって再演される未来が待っているわけだが)。

そして2週間程度のレッスン期間を終えて、ついにA3rd公演「誰かのために公演」が幕を開けることとなった。これも後にリクエストアワーでは定番となる、高橋みなみがセンターを務めるユニット曲「Bird」や、東日本大震災を受けて立ち上げたプロジェクトでも取り上げられる「誰かのために」等が名を連ねる神公演だった。季節は夏真っ盛り。しかしセットリスト終盤には「夏がいっちゃった」があり、このあと夏から秋にかけて季節が移り変わって行くことを予感させた。「小池」は篠田麻里子のセリフが印象的だった。篠田麻里子は滑舌が悪いので聴く度に失敗しないかとドキドキした。

この頃には既に初日・千秋楽といった節目の公演は人気が集中していたことから(青春ガールズ公演初日にはすでに徹夜でなければチケットが取れなかった)、完全メール抽選という形をとっていた。それでぼくはチケットを取ることができず、カフェ観(当時の呼称、後にロビ観とも)していたのだが、驚くべきというか、印象的な光景を目の当たりにする。

前田敦子がいない。それは当時すでに前田敦子をはじめチームAの主要メンバーは、映画やバラエティの撮影など外の仕事をしているようだったから、なにか他の仕事が重なったからだろうと思ったのだが、驚いたのはその前田敦子のポジションにチームKの河西智美が入っていたことだった。河西智美はその時すでにチームKのエースとなっていたが、選抜メンバー同士がレギュラーとアンダーを務めるというのは、現在ではほとんど見ることのない光景である(この時点ではまだ選抜と言う概念はなかったが)。

それは「誰かのために公演」が始まる前、チームAが「会いたかった公演」を行っている時にもたびたびチームAの不在のメンバーの代わりにチームKのメンバーが入るということが行われていた(主に大島優子、河西智美、小野恵令奈であるが)。しかし物議を醸したのは、その逆の事態が一切行われなかったことだ。つまりはチームKの公演にチームAのメンバーが代理で入るということはついになかった。

2006年8月、世間が夏休みに入ると平日にも劇場公演が2回行われるようになり、チームKに体調不良者が続出し、公演ができるかどうか危ぶまれるまでになった。ちょうどこの頃に行われていたお台場冒険王の野外ステージに出ることも重なった。昼には劇場公演をこなし、お台場に移動、真夏の炎天下にお台場冒険王の野外ステージに出演すると、夜には再び秋葉原に移動し劇場公演を行うという強行スケジュールをとっていたことも影響した。元々休演が3人おり、公演中に3人がダウンしアンコールに10人程度しか出演できないという事態もあった(この辺りはプレイボーイ編集部著『AKB48ヒストリー』に詳しい)。ユニット曲に一人で何曲も出演し、全体曲は人数が少ないながらも通常通りのセットリストをこなした。それでもチームAのメンバーが代役で出演することはなかったのだ(もちろんチームAメンバーは3rd公演のレッスンをしている時期もあった)。

この差は一体何なのであろうか。この措置を見れば、やはりAKB48はチームAが一軍でチームKは二軍なのかと思わざるを得なかった。しかし代役とは言え、舞台に立つことができるのは幸せなことだと捉えることもできる。この辺りの判断はファン同士の中でも非常に揺れていた。しかしその状況をよく思わなかったチームKのファンが、Kメンが出演するであろうA公演に入り(チームAの休演メンバーから予想できた)、代役であるKメンにのみコールをするということをしていたらしい。今となっては微笑ましい話だが。

ちなみにぼくはというとその「誰かのために」公演初日を見たとき、チームKや、河西智美もそれなりに好きなメンバーだったこともあり、「K公演をこなしながら、A3rdのレッスンもしていたなんて、すごい!」と一人感動をするのであった。代役に出るというのは、自分の出演する曲以外の曲の振り付けを覚えなければならないわけだから、やすやすとできるものではない。しかし河西智美はそれをやっている!ぼくにとって自分の公演の曲以外の曲の振り付けを覚えるということは尊敬に値するのだった。だから11月に行われる日本青年館コンサートでのシャッフル公演も驚きだったし、後に登場する研究生である佐藤亜美菜らが複数の公演曲を踊れるようにするとか本当にすごいと思う。

A3rd公演が始まりしばらくすると、ついにその朗報が訪れた。メジャーデビューの発表である。そのタイトルは「会いたかった」。A2nd「会いたかった公演」の表題曲である。そのときは、チームAが行っている公演の曲だったから、ファンもメンバーもやはり、メジャーデビューにおいてもチームAのメンバーが歌うものだと思っていたという。しかし実際は、チームA・Kからの選抜メンバーを選んで歌うというものだった。この時に初めて、メンバーもファンも「シングル曲を歌い、CDジャケットに映ることができるのは選抜されたメンバーのみ」ということを思い知ることとなった。これが今では当たり前になっている、各チームからの選抜制度の始まりだと言われている。

発売イベントは、発売日と同じ10月25日。秋葉原UDXで行われるという。今では重要な節目となる出来事であるが、ぼくにとって重要だったのはAKB48がメジャーデビューすることよりも、小林香菜と握手をできる日がついに訪れてしまうということだった。

(次回に続きます)


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