【連載】ちろうのAKB体験記 第27回 ■200MVP

■200MVP

初めての握手会で、指原莉乃に「これからファンになるよ」と宣言したが、次に会えるのはいつなのだろうかと考えた。それも劇場公演で見るだけでは不十分である。できることなら言葉を掛けたい。しかしそれも200MVPの権利を使えばすぐである。初めこれを思いついたときは自分でも笑ってしまった。何か重大な間違いを犯してしまっているのではないだろうか?しかし善は急げ、鉄は熱いうちに打て、の精神である。すぐさまぼくは行動に移した。

200MVPというのは、
1、好きな公演に入れる。
2、抽選を受ける。整理番号は自分の好きな番台を選ぶという形になる。
3、公演後、10分間の時間を与えられ、チェキを10枚撮れる。(自分でシャッターを押したり、スタッフに頼んで2ショット写真を撮ることもできる)10分間の時間の使い方は自由。そのチェキにはメンバーが思い思いのサインやメッセージを書き込み、後日インフォを通して受け取ることができる

という特典だ。200MVPの権利を研究生相手に使うことができるのか分からなかった。そんなことを実行するヲタがいなかったからだ。200MVPといえば100MVPと同等かそれ以上に大切な権利である。100回目から数えてさらに劇場公演100回分のエネルギーが蓄積されているからだ。それほどたくさんの劇場公演を見るということは、それだけ情熱を注いできたメンバーがいるはずである。そんな大切な権利を、登場したばかりの研究生で使うというのは通常ありえない。どこの馬の骨ともわからない、いついなくなるかもわからない。しかしぼくの場合は少し特殊だった。この直前に推し変を完了させてしまっていたので、失うものは何もなかった。

その頃研究生は研究生公演の他、基本的には正規メンバーのバックダンサーとして、そしてまたアンダーメンバーとしても出演していた。指原莉乃は当時、足の怪我で休演しがちだったチームKの梅田彩佳のアンダーとして出演していた。

初めての握手会から3日後、2008年8月1日。「K4th 最終ベルが鳴る公演」で梅田彩佳が休演することが発表されていたので、指原莉乃が出演することが予想された(研究生は出演することが公開されない)。だからぼくは公演前にインフォメーションを訪れ、溜まった追加の半券100枚を提出した。

「200MVP、指原でお願いします」

出演することが公開されていないメンバーで権利行使。異常な事態である。さすがにスタッフも驚いていた。何しろぼくはこれまで2年間、小林香菜ヲタとしてスタッフに認知されていたからだ(笑)そして考えてみて欲しい、その最終ベルが鳴る公演はチームKの公演、つまりはぼくのつい先日までの推しメン、小林香菜が出演しているのである!その行為は劇場スタッフに対しても、そして何より自分自身に対して「過去は振り返らない、ぼくは今まさに推し変するのだ」という決意表明に他ならなかった。その申し入れは受理された。そしてその日の公演チケットも確保されたのだ!

この時は抽選で9巡目ほどに呼ばれると、上手3列、柱から3つめの席に座った。そしてケチャをしていたらそれはもう驚くくらい視線をもらえた。3日前に握手したばかりだからなおのことである。2ショットポラやMVP撮影といった権利は、事前にメンバーにも伝わっているらしい(楽屋にメンバー名とヲタの名前が張り出されるのだとか)。だからなおのこと目線をもらいやすいというか、レスをもらいやすいという状況はあるのだと思う。メンバーの側から捜されるとはまさに主客の逆転が起こっているではないか!

さらには研究生である指原には「チェキを撮る権利」「200MVP」が何のことかすらよく分かってなかったはずだ。そんなことを考えるとものすごく楽しかった。

公演後、カフェスペースは権利行使待ちのファンで賑わっていた。この頃はガチャ販売も頻繁に行われており、2ショットポラやMVP撮影などの権利行使が最も盛んに行われていた時期ではないだろうか。多い時には30人ほどのファンがそれぞれの推しメンとポラを撮ったり権利行使のためにカフェに待機していた。今のAKBヲタにとっては夢のような空間だと思う。ぼくも顔見知りのヲタたちと雑談をしながらスタッフから呼び出されるのを待っていた。この時もまったく緊張していなかったわけではないが、初めての小林香菜との対面のとき程ではなく、楽しむ気持ちも持てるようになっていた。今のぼくはもう2年前の、アイドルどころか女の子ともまともに会話ができないチキン野郎ではなくなっていた。

握手会で認知されていることを確認して以降初めての対面では、思った以上にスムーズに会話をすすめることができた。まず2年間、AKBヲタをしてきた中で培われてきた経験があった。AKBヲタである指原に対しては、間違いなくぼくの方がAKBヲタとしてのキャリアが長いから、精神的にも優位に立つことができた(メンバーになってしまったヲタの方がよほど「おいしい」のだが!)。10分間という時間の中でチェキを10枚撮ることができるのだが、1ショットや2ショット、ポーズを指定したりという一連の流れは、他でもないメイド喫茶で鍛えた。そして女ヲタヲタ活動が、単純に目の前の女の子と気さくに会話をするということを可能にしてくれた。

まずはチェキの撮影である。ここでは無難に2ショットでハートを作ったり、変顔をしてもらっての1ショットを撮ったりしたのだが、その中でこんなことがあった。劇場の椅子に並んで座って2ショットで撮ろうと思ったのだが、ぼくが「見つめ合って撮ろう」と提案したのだ。これは読者の皆様にキモチワルイと言われても仕方ないのだが(泣)、普通は写真はカメラ目線で撮るものである。しかし隣同士で見つめ合って撮ると、これはこれで恋人同士のようなショットであり、いわばネタ写真になる。メイド喫茶でのチェキ撮影をする中で、先輩たちから会得したプレイだった。

そうしたら指原が猛烈に恥ずかしがって「無理です無理です!こういうの苦手なんです!」と応じようとしない。しかしそれでもぼくは調子に乗って「ダメダメ!こっち見て!緊張しないで!」とイケメン発言を繰り返していたら、カメラを構えていたスタッフが一言。

「本人が嫌がっているのでダメです」

・・・さすがにやったもん勝ちとはいかなかった(笑)

さて、一通りチェキを撮り終えると5分ほど時間があったので、後はゆっくり座って話すことにした。この日を迎えるにあたって、昔に書いたmixiの日記を読み返してみると、こんな記述があった。

>「公演前、福岡在住の女の子にゆかりん写真をあげるなどしていい人を演出」

間違いない。これだよこれ。こんな一文を残しているあたり、過去の自分としてもよほど印象的だったに違いない。だから率直に聞いてみた。

「あのさー、どこから来たのって聞いたんだけど、福岡から来たって言わなかった?」
「(笑)違うんです。九州か福岡から来たって言うようにしてたんです」
「隠ぺいしたのか」
「隠ぺいしました。恥ずかしいじゃないですか、大分県とか」
「恥ずかしがることないよ」
「大分とか言っても分かんないから」
「普通の人は分かるよ」
「前に小林さんに言ったら分かんないと言われたんです」

彼女が福岡から来たと言っていたことを記憶していたのはやはり間違いではなかったのだ。これは彼女の控えめな性格を表しているエピソードとしてお気に入りである。そしてまた、ぼくの元推しメンである小林香菜の名前が出てきてしまうところが何かの因縁を感じる。この当時、「変なキャラの先輩」として仲良くしていたらしい。

この後、会話の中で指原の記憶力に驚かされる。ちょうどそのときは下手側のステージの目の前、下手最前席に並んで座っていたのだが、ぼくが「初めての研究生公演、見てたよ」と言ったのだ。それはもちろん5月22日に行われた研究生公演のことであり、研究生の彼女の晴れ舞台であるその公演をちゃんと見たよということを伝えたかったに過ぎない。そうしたら間髪を入れず、さっと身体を横に向け、後ろを指差しながらこう言ったのだ。

「この席にいましたよね!」

それこそが、下手2列目、柱外2つ目の席だったのだ!冗談かと思った。何せ初めて握手をした日よりも2ヶ月以上も前の話である。だからぼくはあまりの驚きにこの日一番の大声をあげてしまった。「よく知ってんな!!」

彼女に言わせると、パフォーマンス中に衣装の前のボタンが外れてしまい、中の衣装が見えてしまっていたというのだ(もちろん下着というわけではないが)。しかしパフォーマンス中であるので直すわけにも行かず、その様子を見て笑われたかと思ったからよく覚えている、ということだった。しかしぼくはぼくでそんなことには全く気付かず、その時は座り席が埋まり始めていたのにぼくの右隣がずっと空いていたから、仲の良かった知り合いを見つけて教えてあげた、ということがあったから覚えていたに過ぎない。それにしても驚くべき記憶力である。ぼくが座っていた位置を覚えているなんて。

指原を推しているファンなら分かると思うが、彼女は客席をよく見ている。ヲタを把握しようとする。そしてさらにすごいのは、そのことを伝えてくるのだ。これはものすごく重要である。自分のことを認識してもらったと感じるヲタとしては、嬉しいに決まっている。これは指原の人気を裏付ける要素の一つであるだろう。

そんな風にして、忘れることのできない10分間は終わった。それから1週間もすると、インフォメーションを通して10枚のチェキを渡された。すると、これでもかというくらいの落書き(サイン)が施されていた。そこには「あのときは写真ありがとうございました」「300まで応援してください」、変顔の写真には「すごいぶさいく。公開禁止です笑」と書かれていた。その中に「遅れてごめんなさい」という一言があった。しかしぼくは(他のメンバーで)このチェキが2年間帰ってこなかったヲタや、「手紙の返事券」という権利を使って5年も返事が返ってきていないというヲタを知っている。

この時に撮った10枚のチェキは、今となってはぼくのかけがえのない宝物となっている。そしてこれを撮った日の翌日にあたる2008年8月2日、指原莉乃にとって重要な出来事が起こる。

指原莉乃の正規メンバーへの昇格、チームB所属が正式に発表されたのだ。彼女がスターダムを駆け上がっていく、その快進撃の始まりと言える日である。

(次回に続きます)

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