【連載】ちろうのAKB体験記 第1回 ■初めてのAKB48劇場

■プロローグ  秋葉原へ

2006年4月15日。日曜日。ぼくが初めてAKB48劇場公演を見た日である。AKB48劇場がOPENしてから4ヶ月。なぜこのタイミングだったのか。まずその説明から始めたいと思う。

ぼくがAKB48のことを知ったのは当然テレビや雑誌などのメディアではなく、インターネットを通じてだった。とはいえ結成当初から知っていたわけではない。おニャン子クラブにハマった世代ではなく、またモーニング娘。でガッツリ現場に通うわけでもなく(せいぜいテレビを録画して楽しむ程度)、アイドルヲタクだったというわけではないのだ。かといってアニメや漫画に精通しているわけでもなく、学生時代にやっていた陸上競技、つまり走ること以外何も興味のない普通の人だったのだ。しかし悲しいことに圧倒的な非モテ。彼女いない歴=年齢といった絵に描いたような非モテだったのである。これは何かのヲタクである以外に説明がつかない。それでヲタクといって真っ先に思いついたのが秋葉原である。アニメもマンガも、あるいは今さらモーニング娘。(ハロプロ)にハマることも考えにくいが、秋葉原に行けば何かがあるんじゃないかという淡い期待を持って、秋葉原に関する情報を探っている中でAKB48のことがヒットしたのだと思う。


秋葉原で毎日劇場公演をやっているアイドルグループ。これは一度見ておいても損はないんじゃないかと思ったのだ。それが2006年の4月。なぜこの時期かというと、なんのことはない、この3月までぼくは岐阜の片田舎で大学生をやっていたから見に行く術がなかったし、調べもしなかったというわけだ。大学を出たものの就職せず、お笑い芸人になるなどという甘い口実でもって、まんまと上京したわけだが、やることがなく暇だった。せっかく上京したのだから、ネットで見つけた得体の知れないアイドルグループのライブだって見に行ける。つい先月まで地方の大学生だったぼくにとって、東京は別世界だった(しかもニート生活の始まり!)。

AKB48は発足当初は人気がなく、初めての劇場公演に客が7人しかいなかったというのも有名な話だから(初日は関係者を含めると客席には50人以上いたらしいが)、チケットを取るのも簡単だったと思われるかもしれない。いや確かに、このあと1年ほどの間(状況にもよるが)開演時間までチケットが完売しないこともあったし、人気のA公演であっても昼くらいまでに秋葉原に来られれば、確実に毎日チケットが買える状況ではあったと言えるだろう。しかしぼくが初めて劇場に訪れた2006年4月15日は、おそらくAKB48の歴史の中でもかなり重要な節目と位置づけられる日だった。大げさに言えば、この段階のAKB48史上、もっともチケットが取りにくかった日だと言ってよいと思う。それを当時のぼくはまだ知らない。。。

■初めてのAKB48劇場

初めて劇場に訪れる日を4月15日の日曜日に定めた。一人では心細かったから、当時上智大学に通っていた友人、つまりは東京にいた唯一の高校時代からの友人を誘った。毎日公演をやっているのだから平日でも良さそうなものだが、それでも日曜日にしたのはその友人に合わせてのことだったと思う。

チケットの販売は10時から。普通であれば、知名度もない、どこの馬の骨ともわからない地下アイドルのライブチケットなど、開演直前に買えばいいと思うかもしれない。しかし当時のぼく達は違った。なにせつい先日東京に出てきた田舎者である(友人は違うけど)。「東京のアイドルグループ」。岐阜にいた頃は見たことも聞いたこともないが、東京(秋葉原)ではそれはそれは多くのファンが詰めかけていることだろう。せっかく秋葉原まで出向いて行って万が一でもチケットを取り損ねてはいけない。それでぼくたちが取った戦略は、10時販売開始に対して8時に並ぶ、つまり2時間前から待機しようというものだった(得体の知れないアイドルのライブチケットのために2時間並ぶというのも、我ながらかなりの情熱だなと思っていたものだ、ま、日曜日だし)。

それで朝8時に購入列のある秋葉原ドンキ前に行くと、すでにそこには長蛇の列が!列の最後尾に並び、周りの人の話に耳を立てていると、チケットが取れるか取れないか微妙なラインだという。そこで初めて、劇場の定員が300人であることを知る。1時間もすると、前の方から整理券が配られてきた。これが300番以内ならチケットを買うことができるという。

友人が手にした整理券は・・・299!そしてぼくは・・・300!

神はいた。AKB48にハマるための条件に「偶然性」が欠かせない。それはこんなところから始まっていたのだった!

首尾よくチケットを購入したぼくたちは公演までの時間を潰し、劇場の併設するカフェの待機列に並ぶ。これより抽選で入場順を決めるのだという。といっても整列させられたのはほぼインフォ前で、入場口付近での案内が聞こえない。真ん中ぐらいで入れればいいなあと思いつつ待っていると、運良く5巡くらいで呼ばれた模様。まだカフェ内に待機している人がたくさんいるのを横目に、劇場内へ。そしてセンターブロックの4列目あたりに座った。今思えばこれはラッキーだったと思う。初劇場体験でそれなりに良い位置に座れたのだから(このころイス席は5列まで。その分、立ち最前は現在の状況よりも近い)。

メンバーの顔も、名前も、演目も知らない、未知のライブが始まる。公演はメンバー4人のユニット曲「嘆きのフィギュア」からスタート。そう、A2nd「会いたかった公演」である。一曲一曲のことや、各メンバーの動きを記憶してはいない。何しろこの時メンバーの顔も名前もまったく知らなかったからだ(そして彼女たちが1期生=Aチームだということも)。初めはユニット曲が続き、全体曲「会いたかった」で初めてメンバー全員がステージに揃うことになる。ここで一気に劇場内が明るくなり、ステージに立つメンバーの人数と華やかさ、そしてすぐ目の前で笑顔の女の子たちが汗を流しているという体験した事のない近さに、ただ圧倒されるしかなかった。

■「会いたかった」公演

印象的だったのは、メンバーが自己紹介の初めに「お手紙いただきました、ありがとうございます」と挨拶していたことだ。いつしかこういう報告は言わなくなったが、今思えばこの頃のメンバーにとって手紙をもらうということはものすごく嬉しかっただろうと思う。そしてまた、こうやって(ステージ上からとは言え)直接お礼を言われるものなんだなあと思った。この時は自分が彼女たちに手紙を書いて送るようになることなど、知る由もなかったのだが。

そしてメンバーで目を惹いたのはやはりセンターポジションの前田敦子と高橋みなみだった。常にセンターで、明らかに出番も多い。「渚のCHERRY」に至っては前田敦子がバックダンサー3人を従えてのソロ。後に峯岸みなみがマイクを持たせてもらえないという待遇に泣いた話や、またセンターであるあっちゃん自身も一人で歌わなければならないプレッシャーに泣いていたという物語を知ることになるのだが、この時はまだ、彼女はきっと只者ではないのだろうという程度の感想だった。アイドルグループと言えばモーニング娘。か、あるいはSPEED(アイドルかどうか微妙なところだが)くらいしか知らなかったぼくにとって、メンバー間の序列が明らかに分かるようなやり方は新鮮であるとともに、残酷なものだと思った。センターブロックに座ったこともあり、自然とセンターの2人を見る時間が長くなる。高橋みなみは圧倒的な目力とキビキビした動きが、そしてあっちゃんは超絶美少女と言う訳ではないけど笑顔がとても神秘的で、同じクラスにあんな子がいたら好きになってしまうかもなあ・・というノスタルジックな想いに駆られたのであった。正直この2人の印象しか残っていないと言っても良い。そんな体験だった。

そしてその劇場体験を終えた後に、ようやく本格的にAKB48のことを調べることになり、これまで知らなかった事実が明らかになっていくのだ。

まずは彼女たちがAKB48発足メンバー(=1期生)であること。この4月1日から2期生であるKチーム(当時の呼称)がすでに活動をしているということ。そしてぼくが劇場デビュー(観客の身分でデビューなどというのはおこがましいが)した日が、A2nd公演の初日だったということである!

劇場OPENの2005年12月8日から2006年3月31日まで、AKB48とは当時のAチーム、いわゆる1期生の事だけを指していたし、当然1期生の公演が毎日行われていた。しかし3月31日に「Partyが始まるよ公演」が千秋楽を迎えると、翌4月1日に2期生(=Kチーム)がお披露目。ここからAチームは2nd公演のレッスンに入り、劇場公演はKチームのParty公演が連日行われることになる。Aチームは初日に客席の大半が関係者だったという経験をしながらも2月には劇場を満員にし、世間的には全く無名ではありながらも、秋葉原という場所に限定すれば徐々に熱を帯び始めていたのだ。ところがKチームの公演は、お披露目の初日こそ新しいもの見たさに満員御礼であったが、2日目には客が半減するという憂き目をみる。大げさにいえば、認められていなかったのだ。2期生など本当のAKBじゃない。Party公演は1期生がやることに意味があるのだと。(これが後のA(ヲタ) VS K(ヲタ)の構図を形作る要因ともなるのだ)

そこでAチームがレッスンのために休演期間が開くこと2週間。たかが2週間と言えるかも知れないが、毎日劇場公演をやっていた彼女たちにとって、そしてすでに毎日劇場に足を運ばなければ気が済まなくなっていたファンにとって、その2週間は途方もなく長い時間だった(と思う)。

そして4月15日。満を持して幕を開けた新公演のタイトルが「会いたかった」なのである。ファンがメンバーたちに会いたくて、うずうずしている心境を先取りするかのように歌い上げるのと同時に、メンバーもまたファンの皆さんに会いたかったんだというメッセージをストレートにぶつける。メンバーがステージ上で声を合わせて「私たちも皆さんに~会いたかった~!」と叫んだ背景には、こんな物語があったのだと、その時は知る由もなかったのだ。それならばチケット購入のために2時間並びというのもうなずけるというものである。(そして何も知らず劇場に入った自分たち・・・無知というのは恐ろしい笑)


(次号に続く)

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