賢さへの執着のようなもの

もうずっと、賢さへの執着のようなものを抱えているんだと思う。

小学校3年生のとき、親から学習塾に行きなさいと言われて、週二回塾に通っていた。同じクラスの子は3人しかいなくて、一人は女の子(しばらくして辞めてしまったけど)で、二人は男の子だった。
この二人の男の子が、わたしの人生をまったくもって変えてしまったのだと、今でも思っている。たぶん…

悠くんは開業医の息子でお坊ちゃん、のくせになんだか飄々として掴めない所のある感じだった。初めて会ったわたしに、開口一番大根抜きゲームやろうぜ!って言ってきたの、絶対忘れないと思う。(でもチェロとか弾けるの、いかにもお金持ちのとこの子って感じ)

たっくんは眼鏡をかけていて、いかにも賢そうな(実際めちゃくちゃ賢かった)顔つき。穏やかで、育ちがいいんだろうな〜って感じ。ピアノを習ってたらしい。算数が得意。

当時わたしは、正直自分のことを賢いと思っていた。初めて宮部みゆきを読んだのは8歳の頃で、周りがちゃおとかなかよしを読んでいる時、わたしは赤川次郎とかアガサクリスティを読んでいた。(漫画は伝記以外買ってもらえなかったので…)成績も良かったし、推薦で選ばれた学級委員を2年間やって、教育委員会に優良児童なんとかで表彰されたりもした。

だけど、わたしが賢いなんて、そんなことは全然なかった。二人は本当に、何にでもと思えるほど造詣が深くて、初めの頃は話についていけなくてびっくりした。プライドをへし折られた感じ。

二人がわたしのことお嬢って呼ぶから、いつの間にか先生にもお嬢って呼ばれてた。わたしがたっくんと悠くんに教わったことは、オイラーの公式と、一手損角換わり。わたしたちは、授業の合間の休憩時間によく将棋を指して遊んでいた。

その頃はたしか、iPhoneが発売されたばかりだった。教室を真っ暗にして、先生のぴかぴかのiPhoneで、今日の空にある星座をうつしてプラネタリウムごっこをしたの、よく覚えてる。

中学3年までその塾に通ったけれど、そのあとはみんなバラバラになった。わたしは女子校に、悠くんは中学からエスカレーターで県一番の高校に進学した。たっくんは、京都の学校に行った。

わたしたちはたぶんウマがあっていて、ニュートンから将棋世界、月刊ムーまでなんでも持ち寄って三人で読んだ。モンハントライもWiiのマリオも一緒にやったし、スカイプ繋いでパート100以上あるゆっくり実況を完走したり、夜な夜なオカ板に張りついたり、オチのよくわからん映画を観て不完全燃焼したりした。

いま、悠くんはドイツに、たっくんは京都にいる。それぞれ医学と物理専攻らしい。わたしのことをお嬢と呼ぶ人はもういなくて、少し寂しい。離れても連絡を取る気はさらさらなくて、電話なんてもってのほか。彼らはそういうやつだし、わたしもそういうやつだ。

話していて、ぐちゃぐちゃに絡まった糸がふと解けるみたいな瞬間って、なかなかないなあと思う。あの頃はたくさんあったのに。

年齢を重ねるにつれて、二人が話すこともどんどん難しくなっていって、わたしは二人がわたしの知らない世界に行ってしまうのが怖かった。もうわたしが理解できない、とんでもなく賢い世界に行ってしまうのかなと思った。ずっとこのまま、また明日ねって約束しなくても会えたらいいのになって思ってた。

大学生になって、人類学を学び始めた。わたしの学科はとくに自由度が高くて、民族学、宗教、言語学、哲学、とにかく幅広く学べるのが魅力だった。
わたしの専攻は論理学と意味論、形而上学だけど、色々なことを知りたいと思って授業を組んだ。
宗教人類学の授業で、ある先生が、「仏教と物理は通ずるところがあるからね」と言っていたのを聞いて、はっとした。ひさしぶりに、背中がぞわぞわするほどわくわくした。

それから、物理学と仏教の関係について必死で調べた。物理の知識なんてかけらもなかったから、物理学専攻のフォロワーにDMで質問しまくった。(迷惑…)
仏教の教えが、量子物理学によって科学的に証明されたことを、その時わたしは初めて知った。これはつまり…と思った時、大げさじゃなくちょっと泣いてしまった。嬉しくて。

それはつまり、辿り着けないと思っていた世界に、じつは自分の歩いてきた道が繋がっていたということで、宗教を学ぶことが、実は物理を理解することだった、という。神さまはいるのかもと思った。ミッションスクール生がいうのもアレですが…

大学を卒業してもいない、学問をちょっとかじっただけの小娘がいうのもなんだけど、学ぶことの楽しさってきっと、こういうことなんじゃないかなあって思う。わたしにそれを教えてくれたのは、たっくんと悠くんで。違うことをやっていても、どこかで繋がってくるかも!っていう。そしたらなにを学んだらいいかきりがないし、人生……時間足りないよ〜。

これだから勉強やめられないし、賢さへの執着のようなもの、まだ捨てられないっぽい。
二人に恥ずかしくないように、わたしは学ぶことを辞めたくないと思うのです。


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