インターネット声優

インターネット声優をしていた日々のことを書いておこうと思う。
もちろん出演していた作品、事務所のことは詳しく書けないし、(ないとは思うけど)特定をされるとお世話になった人々に迷惑がかかるかもしれないので、あくまでも自分の備忘録として、ふんわりした感じにはなりますけれども。

わたしのインターネットデビューは、小学校中学年くらいだった。
ただただモンハン3が上手くなりたくて、ゆっくり実況を見て学ぶ日々、そこからゆっくり人狼、るる鯖、オカ板、ニコ動、pixivなどを経て、わたしは立派なインターネットの住民になった。

実家が居づらい場所だったわたしにとって、インターネットは新しい居場所で心の拠り所だった。
好きなことをして、それを肯定してくれる人がいて、良い刺激を受けて、自分もがんばろうと思える場所だった。
ずっと絵を描くのが好きで、Twitterに投稿をしているうちに画面の向こうに友達ができて、見てくれる人が増えて、そのうちある人から「イラストのメイキング配信をしてみないか?」というお誘いを受けた。

ここが転換期だった。

配信なんて初めてでなにもわからない、というか話をしながら絵を描くことも、自分に需要があるのかも不安だったけれど、お話をいただいたことが嬉しくて手が震えた。これがわたしの初めての配信、自分の声を人に届けるという経験でした。

そのメイキング配信をたまたま見てくれていた人がいた。
自分は同人ゲームを制作しているグループの一人で、CVを担当してくれる人を探している。やってみませんか?と連絡が来たとき、驚きと信じられない気持ちとで何度も何度もメールを読み返した。
そのようなお仕事を受けていない、経験がないのはわかっているけれども、自分たちのイメージにぴったりの声だったと。

とてもとても悩んだ。
声を褒められた経験は、正直少なくなかった。
自分でもそこそこ独特な声だという自覚はあったし、幸いにもそれで誰かに目をつけられたりいじめられたりすることもなく、学校で知らない子にも「声が可愛い子だよね」と覚えられていたり、街中で「声でわかった!」とたまたま会った友人に見つけてもらえたり、この声で得したことは沢山あった。

でも、人の作品に責任を負えるかと言われれば話は別で、だからわたしはすごく悩んだ。

挑戦するきっかけになったのは、とてもシンプルだけど嬉しかった出来事。
アイマスPの友人とカラオケに行った時、橘ありすのin factを歌った。わたしは生粋のありすPで、というか佐藤亜美菜のオタクでもあったので、in factはとても特別な一曲だったのだ。
その時わたしの歌を聴いた友人が、
「めちゃめちゃ似てる!ありす本人だった、びっくりした。もっと聴きたかった」
と言ってくれたんですね。

その言葉を聞いて、あ、わたしやってみようかな、と思えた。

というのも、先方から、「幼いけれど芯がある。小慣れていない、決して器用ではないけど、ひたむきな努力ができるキャラクターで、そんなイメージの声を探している」と言われていて。
わたしはまさに、ずっと橘ありすにそういう印象を抱いていた。
ありすの真似をしたいわけではないけれど、自分の中にあるイメージと近い声に、たまたま自分が似ているのなら、わたしもわたしなりに、自分にとってのありすみたいな存在の解像度を上げるという役目ができるかもしれない、
そしてそれは、ありすがわたしを救ってくれたように、誰かを救うかもしれない、と。

17歳、それが初めての声の仕事だった。

初めてマイクの前に立った時、緊張で震えていたし、声も震えたし、なんなら足も震えたし、心臓がバクバクだったこと、よく覚えてる。
今でもたまに、本番前の夢を見る。
わたしは全然器用な方ではないから、見たこともやったこともない経験に四苦八苦した。
周りの人はとても優しくて、沢山褒めてわたしを伸ばしてくれた。本当にありがたかった。

そうしてなんとか一作目が世に出て、お世話になった人経由で「これもやってみない?」とお仕事をいただくことが増え、同人声優として少しずつCVを担当するようになった。

声の仕事は、とてもとても楽しかった。
でも、将来仕事として食べていけるくらいの才能がないのも、なんとなくわかっていた。

というのも、わたしが演じるキャラクターは、明らかに傾向が偏っていた。
天才ロリ、あんまり感情を表に出さない女の子、AIとか、そんな感じ。
か細くダウナーな感じの役が多くて、「自分の声質にはこういう役が求められているのかな」と思いつつ、表現の幅が広がらないことに焦ってもいた。

外部から来たトレーナーさんに、「あなたは声が細い。それは武器になるけど、やっぱり人一倍頑張らないといけない場面も出てくるよ」と言われたことがある。
自分でもうすうすわかっていたことだけど、わたしはまあまあ特徴的な声を持っていて、感受性豊かだから台本を読み解いて自分なりに解釈することができて、声に感情を乗せることができて、
でもそれだけだった。

よく「殻を破る」というけれど、その破る殻がなかったのかもしれない。わたしは自分がやれる範囲のことしかできなくて、その外側に行くことができなかった。
自分と似ている役はできる、でもそこから外れるととたんに表現の仕方がわからなくなる。
それは声優業を志すうえではとてもとても致命的で、ああ頭打ちだなと自分でもわかってしまったのだ、残酷だけど。
だから、プロの声優を目指すことはできなかった。
ううん、しなかった。
わたしは声の仕事を受けることを辞めた。

収録うまくいかなくて泣いたり、大学で「あの子声優らしいよ」って噂になって部活を辞めざるを得なかったり、
全てが楽しいことばかりではなかったけれど、本当に美しい日々でした。
わたしの声を好きでいてくれて、中身にも興味を持ってくれて、あなたがいるから頑張れると言ってくれる人がいることに、わたしの方が救われていたよ。

送ってくれたメッセージ、描いてくれたファンアート、全部全部今でも一つ残らず取ってあります。

ファンというにはおこがましいけれど、わたしを応援してくれていたあなたたちがこの文章を読むことはきっとないのだろうけど、

あなたたちの前からいなくなる最後の時まで、
あなたは私の星だと言ってくれたこと、
どんな環境にいても、どんな外見でも、あなたの味方だし幸せを祈っていると言ってくれたこと、
憧れだと、私のアイドルだと言ってくれたこと、

死ぬまでずっとずっと忘れません。

わたしの夢を叶えてくれて、沢山愛してくれて、本当にありがとう。

わたしはね、いつかどこかで偶然会ったときも、変わらずあなたたちのアイドルでいられるように、いつも背筋を伸ばして、凛とした人で在ることを決めたのです。

人生には辛いことも悲しいこともあるけれど、それでもわたしは大丈夫だよ、だってわたしが星だってあなたたちが教えてくれたから。

そばにはいなくても、ここで光っているから、見ていてね。

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