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ブラジルでアヤワスカを飲むまで(作品の思考時系列)2022年5月のメモ

作品の思考時系列
去年の5月、自分の分身になっていたハムスターが死んで、どうしようもなくなって毎日泣いた


でも(少なくとも肉体は)死んだら終了で完全に消える、なんてことはない事は知ってるから、

とりあえずハムスターが分解された土を飲んだり、そこからカビを育てたりした。

それが去年の秋の個展。
それで分解された物は海に帰る(正確に言うと、長い時間を掛けて地球を巡る)
ことを知り、素潜りを習い、素潜りの先生の「水とコミュニケーションする」発言。
そしてうちらにない感覚の持ち主だった。


海に入る時に挨拶する人。本人は否定してるような口ぶりだけどスピリチュアルの人だったのでは?そして3.11被災地域での海に向かう幽霊を見る人が多発する話。これは12月の作品で水に潜ってハムスターに会いに行く作品になった。
うっかり大晦日に本当の海に入って会いにいきたい(自殺したい)衝動がでた。(せっかち)

ハムスターが死んだ事で唯物論が変化してきた。正確には唯物論では生きられなくなって
他の話を収集しだした。
被災地域の、幽霊を見た人は嘘を言っていないと思う。(幽霊の話をする人がすべて嘘つきだとは思わない。)それは幻覚だ、客観的な存在ではない。とも思えたそんな中科学雑誌Newtonで読んだ「ホログラフィー理論」。

この世が幻であるなら。見せられているのなら。見えてしまった幽霊が真 とまでいかなくても、自分が普段人と話していることとおなじくらいのリアルなのでは。


洞窟壁画は幻覚の模様が描かれる。様々な民族の模様にパターンがあるが、それは幻覚の模様。模様の正体、見えてしまった幽霊の正体、それがこの世ではない所にある。


ホログラフィー理論、ひも理論、素粒子の話
科学雑誌Newton、仏教、正直今まで半分バカにしてきたスピリチュアルの理論が重なり始める。
私はどうしてもそれを見たい。ハムスターと会いたい。
創造主が本当に居る(有る?)ならそれと話したい。命のおわりのつづきを知りたい。
あわよくばハムスターともう一度…


本当に体験ができたのなら、それこそが芸術の源だと思う。いやもう芸術芸術じゃないとかはどうでもいいから私の生きる意味。

死んだらどうなるかなんて、
死ねば解ることをなぜ生きてる内にやるのかと言うと、わからない。とにかく物凄く気になっている事がここに帰結したし、
切実に、私の生きる希望になっている。
体験した後は、遺された人を勇気付けるのか?探求のために修行し続けるのか。まだわからない。

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