アヤワスカを飲んだ後の考え(5/10時点のメモ)
なんで幻覚の事が科学的に遅れを取ってる(?)のかわかったわ。
その場で比較検討できないのよね。
あなたが見た神と私の見た神、あなたの真理と私の真理は違うんよ。もしかしたら同じなのかもしれないけど、2面性を孕んでいるのかもしれないけど、それが私たちにはなかなかわからない。
だから、うちはどうとらえるか?私の神を、他人の神をどうとらえるか?しっかりと考える必要がある。それで見解を出したい。そうしないと作品は作れない?知らないけど…。
それを研究していくのか?とりあえず、人生、毎日の目の前で生きていくために必要、有益な考え方が相応しいというか、自然だと思う。まず神がいるかどうか、神をどう定義するかに拠るけど、エネルギーとしての神は確実にいると思う。それは崇めたてるものでなく、むしろ私たちの思考を作る1番基礎的なもの。私たちの王であり、私たちのお母さんであり、私たちの奴隷である。
正直神って呼ぶ必要ないと思う。
ホログラフィー理論によってこの世界が2次元だという仮説があるのが信じられないが、
私がアヤワスカによって経験してしまった世界は存在しないと言われる方が信じられない。感触はなかったが、私は確かにそこで生きていたから。ここが危うい事もわかっているが、私の想像の範疇ではないと思う。発見の連続だし、初めての体験の連続だった。
それすら凌駕する「宗教的な夢を制作しまくる脳内ドーピング」だとしたらもうお手上げ。笑 それでも生命についての謎、神秘は科学的に残ってしまうわけだけど、
今は見た世界が確かにあると信じたい。
なぜなら1日目に体験したものは今後の人生のお守りとなるから。
2日目は、まるで拷問されているようだった。私の見たあの無限は感情がなく、自我が消えそこに引っ張られてしまう。それを愛と呼んでしまうなら、神はなんて恐ろしいのだろうと思う。私はもうそれと一体になっており、ただ共にそよぎ続けるしかない。
2日目だけを体験していたら、きっと神なんて居ないと思っていたと思う。とても辛かった。ただ、私は1日目を信じたい。どちらも迫ってきたものだけども。
堂々巡り、無限の思考から抜け出すには、自分の直感を信じるしかないと思った。ムカついたり、エゴ丸出しで生きたり、(神であるかのように)偉そうにしてみたり、無駄なことをしたり、地球を浪費して生きていくんだ。いやならそうしない方向で生きていくだけ。判断材料が確かじゃなくても自分の心にきけ。、
つらい
ハムスターのことを考えるとやっぱり
時間を巻き戻して…もう一度会いたいとか考える。
そんな時に考えるのは完全に消失したハムスターではなく、どこかで見守っていてほしいなと思う。1日目のお母さんと一緒に、むしろそのお母さんと一体になっていて…
辛い時、神がないと耐えられない。
そもそも「ある」とか「いる」とか
自分の存在自体、どうかわからないのに。
あるとないが両立するかもしれないしね。
神がいるとかいないとか。
考えたらきりがないよ。堂々巡り…
でも、その堂々巡りを私は体験してきた…。
地に足をつけよう。生きていくのは、今この世界なんだから。地面が存在すると思って…
生きる上で役立つように考えよう。
好きなことしたらいいんよ。
ムーの立ち位置はいいなあ、神秘をおもしろがって…あるかないか自体を楽しむ。賢いなあ。
一人の人がある時は唯物論者になってもいいし、ある時は熱心な神の下僕であってもいい。その時生きやすいように、幸せでありやすいように、1つにこだわらず考え方を出し入れするといい。
だからハムスターのことも、本当の事なんてわからないんだから、私の生きやすい考え方で考えていい。
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