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会社トップは巧い将棋を「指す」ことができるだろうか

 「勇将の下に弱卒無し」という言葉がある。デジタル大辞泉から意味を引用させていただくと「上に立つ者がすぐれていると、その部下もすぐれていること」とのこと、即ち、集団を率いる代表者が優秀であれば、それに従うものも優秀であるということだ。具体的な例でわかりやすいのはスポーツであろう。スポーツチームの監督が試合で勝つことを目的として、戦略や選手の采配といったものを計画し、試合を行い、勝敗という結果を得る。その結果によっては試合に勝った監督として称賛されるかもしれないし、負けた監督として責任を取らされ、辞めさせられるかもしれない。

 これが企業という組織でも変わらない。企業では社長や取締役員、部署、部門単位で見ればその部署、部門の長、即ち部長や課長といった人たち、プロジェクト、仕事単位でみればプロジェクトリーダー、仕事責任者が利益を出す、プロジェクトを成功させるといった目的を達成するために、戦略を練り、計画を実行し、改良を加えながら運営している。その結果によって、成果として認められたり、ペナルティとして降格、減給があったり、取締役クラスであれば辞任といったこともあるだろう。

 さてここで組織のトップでない大半の労働者、「従業員」とは何であろうか。罵詈雑言を浴びせられ、体を壊してまで働かされる奴隷だろうか。それとも、みんな仲良しこよしな和気あいあい集団のメンバーの一員だろうか。私はそうではなく「何らかの役割を与えられた役者」だと考えている。

 「役者」といえばドラマや映画、歌舞伎といった劇の役者を思い浮かべるかもしれない。しかし残念ながら私はドラマや映画といったものに興味がなく、ほとんど見たことがないため、具体的に説明するには知識が足りない。そのため、盤面の上に設置された特定の動作をする駒を操って相手の大将駒をとるゲーム、「将棋」で説明をさせていただく。将棋は「駒を動かす」、「動かした駒の場所に、もし設置されている相手の駒があれば取る」、「今いる場所から相手の陣地とされている領域まで動かすと特殊な動きができるようになる」、「取った駒を盤面上の空いている好きな場所に設置する」、「これらの行動と制約を相手と代わりばんこに行う」というルールと、初期設置場所と動作がそれぞれ決まっている「歩兵」、「金将」、「銀将」、「桂馬」、「香車」、「飛車」、「角行」、「王将」という8種駒を操るゲームである。これを企業に例えたいと思うが、ここで皆様には考えて欲しい。企業を将棋の駒で例えるならば何であろうか。「王将」が役員等企業のトップで、「飛車」、「角行」といった特殊な駒が管理職職員、数の多い「歩兵」が従業員であろうか。否である。まず「王将」について考える。将棋の勝敗は「王将」を取るか取られるかによって決まる。つまり「王将」は取るべき、守るべき対象、即ち「目的、ビジョン」であり、企業でいえば「利益を出すこと」や「プロジェクトで成功すること」、守りの意味では「利益を守ること」、「プロジェクトを失敗させないこと」といったものに当たる。そう考えると「王将」を除く駒は「目的、ビジョンである王将を取る、または、守るための手段」なのである。つまり企業における利益を上げたり、プロジェクトで成功させるために必要なものというのは、製品を売り込む「営業」、製品を形にする「設計」、プログラムを書いてシステムを構成する「プログラマー」、お金の流れを管理する「経理」といった「職業、部署、部門といった機能、役割」なのである。また、相手の王将を守っている駒はプレイヤーの目的を阻む要因、課題や問題であり、「職業、部署、部門といった機能、役割」が対応するタスク、つまり仕事なのである。しかし、職業、部署、部門といった機能、役割」というものは抽象的で実態がないものであるため、実態を与える必要がある。この機能、役割を担ってもらう実態を与える作業が雇用であり、職業、部署、部門といった機能、役割」に与えられた実態、即ち役割、役目を担う「役者」こそ従業員なのである。そのため、従業員には職業や部署といった肩書き、看板がつき、その役割、役目として仕事に取り組むのである。そして最後まで出なかった会社の社長等役員をはじめ、部長、課長、プロジェクトリーダーといった「トップ」は将棋のどこに例えられるか。「王将」という目的やビジョンを定め、それを取るための戦略を考案し、持てる駒、即ち機能を全て使い、目的を達成する、これらのことができるのは、まさに将棋のプレイヤーである。このように考えると、当然のことながら目的を達成できなかった、つまり試合に勝てなかった責任はプレイヤーであるトップが負い、逆に目的、ビジョンを達成し、成果として認められれば「勇将、名将」として褒め称えられるのである。

 余談ではあるが、売り上げ低迷や、プロジェクト失敗を社員や部下のせいにして怒る上司やトップがいる。責任の所在は本当に社員や部下にあるのだろうか。例えば売り上げ低迷であれば、売れると思った製品が売れないのであり、プロジェクト失敗ならば期限までに必要なタスクが終わらないまま頓挫してしまったり、人員、設備、資金といったリソースがないにもかかわらず強行し、できなかったという結果が残ったなどである。そして、これら失敗例での立案計画、実行決定、管理把握は誰の仕事だろうか。もちろん上司やトップの仕事である。この大事な仕事をもし社員や部下に任せたとするならば、その社員、部下を相当評価して任せたか、上司やトップが余程の無能で、丸投げした場合だと考えている。

 ここまでで社長、取締役員といったトップ、部署、部門、従業員という企業に関するものについて将棋を例に出して述べた。ところがまだ「盤」と「相手プレイヤー」が残っている。まず「相手プレイヤー」とは何であろうか。スポーツであれば、相手監督に当たるだろうが売り上げ、プロジェクトにおいては相手プレイヤーなんて存在しない。課題や問題を操作できるのは人ではないのである。いっそNPC(ノンプレイヤーキャラクター)としておいてしまおう。このNPCについて、NPCというぐらいなのでゲームでいうところの強さ、難易度があるはずである。この難易度は何で決まるのだろうか。これはトップが決めた「目的、ビジョン」で決まる。例として例年の売り上げが500万円の企業が年間売り上げ目標を500万円にした場合と5000万円にした場合で見てみる。前者は既に500万円という売り上げを達成したことがあるのでどうすれば目標を達成できるのか、どのように機能、役割を使えばいいかというノウハウやマニュアルがあるため、目標達成の障害やこなすべきタスクも対処が容易なはずである。一方後者は例年の売り上げの10倍であり、今持っているノウハウだけでは足りないので、新製品を開発、売り込んだり、新規事業を始めたり、無謀な営業活動を始めたりと様々なことが予想されるが、目標達成の難易度は高いことがわかる。

 さてここまで将棋というゲーム全てでトップや部署、部門、従業員と企業を説明してきた。ここで1つ私は問いたい。今の日本の企業は掲げた目標に対して、達成可能な計画を立て、全ての機能を使い、予想の範囲内の結果を出せているだろうか。結果だけなら出せている企業は多くあるだろう。しかし、達成不可能な目標と無謀な計画、そして、フル稼働する部署、部門と無茶な労働を強いられる従業員、こういった現象が、ブラック企業だけでなく、ホワイト企業と言われる企業でも該当する要素がある企業はあるのではないだろうか。このような状態を生み出したトップはプロと言えるだろうか。

 近年、人工知能、AIがブームになっており、将棋や囲碁といったゲームではプロ棋士でさえ勝てなくなってしまった。仕事でもとって代られるものがあるという話がある。この人工知能、AIのアルゴリズムがトップが行う仕事、目標と実行計画を立て、必要な部署、部門といった機能を算出し、指示を出すといった役割を再現できたら、従業員は人工知能、AIと人、どっちに従うだろうか。

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