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20231109

周りの目に映る姿とセルフイメージ
案外、重なることってそう多くはないのかもしれない
かけ離れていたり、食い違っていたり
どこかしらズレがあって然るべきものなのかも

感じていることをことばにして伝える
紛れもない本心なのに、そのとおりに受け止めてもらえないときもあれば、誤解されることさえある

「相手がよろこぶから」
「”いいひと”に見られたい」
そんなふうには微塵も思っていないのにな
純粋に感じたこと、その瞬間にことばを帯びてあらわれただけのこと

まっすぐって、ときにあやしまれてしまうのかな
素直すぎやしないか、とか
それは過大評価でしょう、とか
ひょっとして裏があるんじゃないか、とか
どうせおべっかだろう、とかね

何事も、何人たりとも多面的であることには疑いの余地もない
あのひとに見えている側面と、わたしが対峙している側面が異なることもある
仮におなじ一面を目の当たりにしても、感じ方捉え方はひとそれぞれだしね

他者の評価はおおいに参考にはなるけれど、あくまで参考程度に
鵜呑みにするのはちょっと違うかな
まぁ一旦、自分なりのフィルターを通せば、そのままそっくりということにもならないだろうからね

それと推測は、行き過ぎると邪推となり得る
このへんのさじ加減はなかなか難しいし、それぞれの感性が浮き彫りになるところでもある

あまりこねくり回さず、穿ったものの見方をすることなく、まずは目の前にある状態をそのとおりに信じていたい

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