見出し画像

20231220

いまのわたしにとって大切なことは、心の奥に追いやられてしまっていた感情をおもてに出すことなんだとわかった

「そんなこと考えるのよしなよ」
「いい面をみていったら、そんなこと気にならなくなるよ」
というように、視点や捉え方、発想を変えていく方向に促されることがある
これは一見すると聡明な助言なのだけど、物事の本質から目を逸らすことになりかねない
ついついふたしてなかったことにしてしまうと、もっともっとくすぶってしまい、こんがらがってこじらせてしまったりもする

大切なひとたちと過ごすときには、どんよりするのはもったいない
笑ってほがらかでいたいから、さらっと水に流すように打ち明けてきた
相手に心配されたり、場合によっては同情をさせてしまうのがいやだったんだろうな
単なる気ぃ遣いなのか、プライドが高いのかはわからないけれど

でもさ、いつまでも溜め込んでたら自家中毒になっちゃうよね
それこそ不健康だ
へたに気を遣って加減してしまうくらいなら、いっそのこと友好関係のない、けれど信頼をおける他者に打ち明けることもひとつの解決策なのかもしれないね
こうした手段を選ぶ場合、ことばを声にのせて体外へと放つための受け手になってもらえるかどうかが要となる
淡々と吐き出させてくれる体勢だと助かるんだよな
傾聴してもらえたらそれはそれでうれしいけれど、共感までは求めない

紙に書いたりして出し切ってきた時期もあるけれど、いまはそんなふうに時間や機会をつくることすら難しい
それに、声にしたほうがより絞り出せている気がして
Podcastでのひとり語りで自浄するもいいけれど、誰かが聞き手となってくれて、しかと受け止めてくれる状況にあるというだけで癒えるものもあるよね

ヘドロのようにドロドロとした生臭い感情があるのも当然だよ、にんげんだもの
そう思えるようになっただけ、あるがままの自分を許容できはじめているのかな
以前なら、そのことすら認められなかったものね

遅々としてるとはいえ、一歩ずつ、着実に前進してる
その調子だよ、だいじょうぶ

気に留め、目を通していただきありがとうございます 記事から得たエネルギーを、なにかしらの糧としていただけたらうれしいです もしよろしかったら、お気持ちに応じたサポートとしてお返しいただけたらしあわせに思います さらなる活動の原動力としてめぐらせてもらいますね