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20231120

子がお昼寝をしているうちに、のんびりひとり時間
とある方のInstagram Liveのアーカイブをラジオのように流しながら、お昼ごはんののち、ゆったり休養している

自己卑下をしない

とある方のInstagram Liveアーカイブより

強烈なキーワード…!

なにかつまづいたり、うまくいかないことがあると、すぐに自分を責める
それが癖になるどころか常態化し、すっかり染みついていた

そのことに気づいていたけれど、見て見ぬふりをしてやり過ごしてきた
もう、ごまかしのきかないところまできている

先に進むために、思い切って置いていかなければならないものがあるとわかっていても、なかなか放つことができずにいた

いいかげん、心おきなく手放したい

そんなゆらぎのなかにあるわたしの背中をぐいっと押してくれることばだった


話は前後するが、午前中は未就園児クラスだった
3回目、徐々に慣れてきたかな

園庭では小柄な身体つきに似つかわないほどおおきなやかんを両手に(要するにふたつも)掲げて歩き回っていたものだから、先生方に「力持ちだね」と感心されていた
きょうもきょうとて、平常運転
まっすぐ、かろやかな足どりで我が道を行く姿は実に頼もしい

お部屋遊びの間、当然ながらお友だちとおもちゃを共有することになる
おなじものに興味を持つこともよくあることだ
そんなとき、どうやって譲り合うか
このあたりはとても繊細な問題で、保護者は慎重にふるまうことが求められる

余談だが、わたしといういち個人の性分として、”譲りグセ”がある
たとえば街中で狭い道を行き交うときには「お先どうぞ」と脇に寄ったりね

でも、それは我が子らの遊ぶときには発揮させないほうがいいみたい

仮に我が子がいままさに遊んでいるおもちゃや遊具に対して、他のお子さんが興味を持ったとする
そのときに我が子に「お友だちに貸してあげなよ」と言うのではなく、お相手の子に「いまこの子が遊んでいるからあとでね」と伝える

『おとなの世界では譲ることは大切ですが、その子(=我が子)に「これだ」という感覚を芽生えさせるために、親が護ってあげてください』

先生にそう言われてハッとした

公園や園庭での遊具の順番待ちとか、そのお部屋で人気のおもちゃとか、誰か別の子の気配を察知した段階ですぐさま譲っていたことに気づいた
子の先導役を務めている側面もあるのに、ついつい”わたし”という単独的な単位で思考やら行動するという舵を切ってしまっていた
他の子(や保護者さん方)に過敏に配慮するあまり、肝心なうちの子への尊重やケアに欠けていたよ
ごめんよ、坊や…!

さて、この話には続きがある

のちに我が子がそのもので遊ばなくなったら、もしお相手の子がほかの遊びをしていたとしても、念のため「先ほどはありがとう、よければどうぞ」と声をかける
そうした親のふるまいを我が子にみせるというのも大切なことなのだ

ふむふむ
勉強になるなぁ
これからはそうやって接していこう

先生方からお伝えいただくことは、肝心要をおさえていらっしゃる
はじめてのことばかりの新米母さんには、なにか、ひとつでもふたつでも、判断のための指針がもたさられるだけで自信がつき、安心して見定めることができる
さすがだなぁ、ほんとうにありがたいことだ

子育てはしつけ糸のように

とある方のことば

以前読んだ本のなかにあったこのことば、まんなかに据えて臨んでいる

勘どころを抑えていれば、きっとだいじょうぶ
そう思えるようになっただけ、母さんとしても成長できているのかもね


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