tiny episodes 07

書くということ

書き仕事をなりわいに、
書いたものを人さまにお見せするようになってから
自分自身の「書く」ことは一体どこからはじまったのだろう?
そんなふうに思いを馳せるようになった


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記憶のあるかぎりだと、
小学校低学年のころにまでさかのぼる

当時「自学自習」を掲げていた母校では、
児童の自発的な活動をおおいに奨励する傾向があった

すごろくのように一面に細かいマスが描かれたマラソンマップが配られ、
校庭を一周したらすきな色でひとマス塗りつぶし、ゴールを目指す
とか
なわとびや水泳には1級・2級…というように等級が設けられて、
個々のモチベーションや能力に応じてクリアしていく
といった具合だ

この気運は校内にかぎらず、放課後の時間にも波及した
その名も、「家庭学習」
課題を自ら掲げ、日課にすることがねらいだったのだろう
学習内容においては
「九九をそらんじる」「漢字の練習」「教科書の音読」
というように、各々の自由裁量で決められた
取り組みの成果をノートに記録し、翌朝担任の先生に提出する
赤文字でコメントを入れ、帰る頃に戻してくれた

これはあくまで「自発的な学びの機会」という位置付けで、
主要教科の宿題とは異なり、
必ず提出しなければならないというわけではなかったように記憶している
要するに、継続できるかどうかというのは当人の資質にかかるということだ
小学生でなくとも、なかなかハードルの高い試み…!

数多ある課題のなかから、
あの頃のわたしは、絵日記を選んだ

なんせ強制力のない日課を奨めているのだから、
そうそう続けていくことも難しいらしい
最初は先生の机に山積みになっていたノートも日を追うごとに目減りした
それでも、わたしは毎朝のように提出していた

なんで継続していたのだろう?
きっとそれは、
赤文字で綴られた先生の感想が読みたくて続けていたのかもしれない

夏休みのような長期休暇ならいさ知らず、
通常運転の日常生活のなかで
なにかしら自分なりにめぼしい出来事を決めては話題にしていたのだろう
そんな些事に満ちた子どもの日記に、
先生はよくもまぁ、根気強く付き合ってくれたものだ

当時は細やかにフィードバックしてもらえることを
ごくごく当たり前に感じていた
けれど、
単に業務だから、仕事上の役割だから…
といった惰性で続けられるものではないということが
オトナになってからはほんとうによくわかる
そう考えると、いい先生に恵まれていたのだなぁ
今更になって感謝がわきあがる

先生との交換日記のような、往復書簡を交わすようなおもしろさは
おおげさだけど、書くことの醍醐味を教えてくれた
自分から生まれたものが伝わり、そこから反応がかえってくる
たったひとりの読者に届き、その返歌が舞い込んでくること
そうしたやりとりが、とりとめもない日常に彩りを添えてくれた
そして、誰かに伝えることの喜びを育ませてくれたのだ

こうした原体験が、
今書き仕事をするうえで豊かな土壌をつくってくれていたのだと思うと
ほんとうによかったなぁとしみじみ感じ入るのである



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