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暗号と謎解きの違い

暗号と謎解きの違いについて考えています。


暗号は、送信者受信者鍵を共有する(細かく言えばパターンによって違うけどざっくりと話します)。あらかじめ鍵を知っている受信者は、それを使うことで容易に読める。鍵を共有するのは二者の間であり、第三者には読ませないことを目的とした秘密のメッセージのやり取り。

よって第三者は、解読前の文章を入手し、それをなんとかして解読しなければいけない。アルファベットの頻度分析が代表的な例。その時点では暗号化された方法すらわかっていないので、さまざまな手段を試すしかない。

二人の秘密のメッセージ!第三者には読ませたくない!鍵を知られたくない!でも無理やり解読するのが第三者!この三角関係。


一方で、謎解き(暗号風メッセージ)は、出題者鍵をメッセージ自体の中に隠し解き手にそれを探させる。謎解きにおいて、本来の暗号のような「鍵の共有」はされない。鍵を共有する=簡単に読める=答えを見るのと同義になってしまうから。


ではこの「解き手」は、本来の暗号でいう「受信者」かそれとも「第三者」か、どちらなのか?ここが微妙なのです。

暗号の性質を「メッセージ」と考えると、謎の解き手は受信者の立場。

暗号の性質を「鍵で読むもの」と考えると、謎の解き手は第三者の立場(鍵を知らないから、探さなければいけない)。

つまり、謎解きの「解き手」は暗号の「受信者」と「第三者」両方の立場に立っている。ということになる。


受信者の視点だと「メッセージを読もう、そのために鍵を探そう」という発想になる。鍵を使ってメッセージを読む、それが本来の暗号の形式であり、謎解きの場合はたまたま鍵が隠されているだけで、探すのは受信者の役目ということ。

しかし第三者の視点だと「あらゆる方法を試して暗号を破壊しよう」という発想になる。自分は鍵を持っていないが、なんとしてでも読んで内容を知りたいからだ。実際にやることは受信者の場合と同じだが、スタンスが違う。

この二つのイメージのどちらかを、おそらく暗号風メッセージ(謎)を解く人は持っている。前者は、メッセージという意味性や相手との関係に重きを置いており、後者はメッセージ云々よりも問題を解決することに重きを置く。誰から受け取ったのかにもよるけど。

そんな感覚の違いがあるのではないか。ということを考えていました。


……で、これは自分の弱さでもあるのですが。私は後者です。しかしそれだけでなく、自分はこれまでの生き方のせいで、問題に類するものと向き合うスタンスに、丁寧さや敬意が欠けている。明らかに自分の欠点だと思いました。思いやりが足りない人間です。そういう時の優しさみたいなものがないのは、人として恥ずべきことですね。

言い訳じみた分析をすることで、やっと自分で理解しました。あー、なんて厄介な性格〜笑

しばらく謎づくり謎解きはお休みして読書に励みます。


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