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「最も大切なことは、自分が創る製品(技術)を好きであるということ」

最近、悩んでいる。
他でもない自分の人生について悩んでいる。
正確には自分の仕事について悩んでいる。
(まぁ、今に始まった悩みではない)

簡単にいうと、今後何を優先してどこでどのような形態で働いていくべきか、悩んでいる。

あまりにも悩んだ結果、『新・13歳のハローワーク』(村上龍)という本を買ってしまった。有名なので知っている人や読んだ人もいるかもしれない。私ははじめて手に取った。まだパラパラ流し読みした程度だが、とても面白そうだ。図鑑のよう。悩んでいない人にとっても読み物としておすすめできるクオリティだ。

(とにかく情報を欲している。仕事とお金に関する情報なら何でもかんでも摂取している。俯瞰しないと落ち着かない性分なのだ)

・・・

ところどころに挟み込まれたエッセイがある。そのうち「エンジニア」について書かれた見開きページを読んでいた。トヨタ自動車チーフエンジニアの大塚明彦さんという方が執筆している。

「どうすればエンジニアになれるのか」
「エンジニアにとってもっとも大切なことは何か」
「エンジニアに憧れる13歳たちにアドバイス」
の3章。

そのうち「エンジニアにとってもっとも大切なことは何か」は以下の文章から始まる。

 エンジニアとして仕事を遂行する上で必要な心構えと能力について話をします。最も大切なことは、自分が創る製品(技術)を好きであるということです

『新・13歳のハローワーク』


──ところで、私はエンジニアではない。どちらかといえばアーキテクトである。日本での呼び方はさまざまで、設計士、建築士、建築家、どれも微妙に意味が違うけれどそんな仕事をしている。

世界的なスタンダードとして、建築業界でArchitectとEngineerが同一視されることは少ない。Architectは建築物の意匠(=デザイン)的な設計及び監理(=建設過程のチェック)を行う。一方でEngineerは、建築物の構造または設備の設計および監理を行う。役割が分かれているのだ。

つまりアーキテクトは「なんとなく全体がこんな風になったらうまくいくよね」という話をする。エンジニアは、アーキテクトが描いた夢を形にする方法を構造または設備という観点で具体的に考える(構造エンジニアと設備エンジニアは別に存在する)。そんな感じだ。

とはいえ、アーキテクトは絵描きではない。おしゃれだよね、かっこいいよね、という話だけで作れるほど建築は単純ではない。クライアントの要望、人の動線、コスト、工程、法規などなどという複数の角度から問題を解く必要がある。それからエンジニアと協働するにしたって構造、設備も大まかに理解しなければいけない。だから私は、アーキテクトもある意味「建築エンジニア」だと思っている。

特に私のように、自分の名前でアーキテクト(=建築家)とアピールしていない人間は、上の人が描いた夢を実現するために具体的な寸法を設定していき、問題があれば指摘するという立場だ。図面はミリ単位まで描く。おそらく建築以外の業界ならばエンジニアと呼ばれる立ち位置だろう。

・・・

話が長くなってしまった。要するに、私はアーキテクトだが同時にエンジニアでもあると自認しているし、エンジニアと呼ばれる職種の人にけっこう親近感を抱いている。

だからこの文章が強く刺さった。

最も大切なことは、自分が創る製品(技術)を好きであるということです

さらに、以下のように続く。

好きであれば開発途中で遭遇する困難な課題にも積極的に立ち向かっていく情熱が生まれます。また簡単に妥協することも減り、製品の完成度が向上し、より魅力ある製品になると思います。すなわち自分が興味を持って取り組める製品(技術)に携わることが最も大切なのです。

どんな時でもこれが真理ではないだろうか。エンジニアに限らず、アーキテクトでも、他の職業でも。誰だって好きなものをつくりたいし、好きであればこそ情熱が生まれ、結果として良いものができる。本来ならこのサイクルが自然かつ健全だ。

でも現実はそこまで単純ではない。「好きなものをつくってもお金を稼げない」という状況も少なくない。私の勤める職場では、好きだからと無限に時間をかけてしまう結果、費用対効果の概念が破綻してしまっている。悲しいことに、同じような職場はこの業界に無数に存在する。


この問題は意外と根が深い。デザインには絶対的な正解がないため「時間をかければかけるほど良いものが出来る」と信じる人がいまだに多く、タイムパフォーマンスを重視する人間は「熱意がない」とみなされる。100や1000の可能性があるのに20で手を止めるなんて、やる気あんの?ということだ。

その考えを完全に論破する方法はおそらくない。多くの反論は、論点をワークライフバランスにずらしているに過ぎない。もちろん20の手数で上手に解く人もたまにいる。しかし、一般論として「デザインを20で止めて最適解が出せるか」を検証することは不可能な上、多くの設計者が「100(1000)やったからこそ出せた答えが評価された」という成功体験を持つため、心理的にそのプロセスから抜け出しづらいのだ。そもそも、業界全体が横並びに100や1000の時間をかけている中にいて「自分は20でそれに勝てる!」と、一体どれだけの人が言えるだろうか?

つまり(夢を見るタイプの)アーキテクトはかなり稼ぎづらい業界だし、合理的な自分にこの業界もしくは職場は合わないのではないか。と、悩みは行くところまで行った。

でも私はやっぱり建築がけっこう好きだと思う。たぶん好きなのだろう、という程度だが、まず私は物理的なモノがとても好きだし、建築以上に面白くて魅力的な物理的存在は他に存在しないと思っている。旅が好きで、街が好きで、美術が好きで、部屋が好きだ。

何よりずっとこの仕事を続けてきて辛いと感じた回数は数えきれないけれど、飽きたことは一度もない。今から図面を描いてと言われたら「いいですよ」と、すぐにパソコンに向かえる。飽きっぽい自分にとっては驚異的な事実だ。


お金のことは正直、背に腹は変えられないレベルまで達している。年齢的にもあまり猶予がない。それでも今この「好き」を手放してしまったあら、もっともっと人生に悩む気がしているのだが、どうなんだろう。


以上、悩んでいる現場からでした。

みなさんは、自分が創るものを好きですか?

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