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#7 雨の音

スマートフォンをネット回線につないでエマにLINE電話をかけた。
常時接続にしていない。常に誰かとつながっている状態はあまり好きではないからだ。23時だった。

電話をかける瞬間、まるで自分の声が遠くから聞こえてくるような感覚に陥った。
「近いうちに会いませんか?」と問いかけると、エマの返事は淡々としていた。「明日はいかがですか。明後日から出張なので。」

彼女の声は、先日自宅の玄関で送り出してくれたときとはまるで別人のように冷静だった。「じゃあ、明日。」

翌日、僕たちはカフェで向かい合って座っていた。窓の外では、雨が静かに降り続けていた。いつものように文学の話をしようと試みたが、言葉は宙を漂うだけでエマの心には届かなかった。

「実は」と、僕は切り出した。「偶然、君のインスタグラムを見つけてしまったんだ。」

エマは少し驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの冷静な顔に戻った。「そうですか。」彼女は言った。「それ、私のです。」

沈黙が流れた。雨の音だけが静かに響いていた。

「あの、筋肉の発達した腕の持ち主は?」質問が思わず口をついて出た。
エマはゆっくりとコーヒーカップをテーブルに置いた。「元カレです。」彼女は静かに答えた。
「今は他の人と結婚していますが、ときどき会う関係です。」

その言葉が僕の中で反響した。まるで、誰かが僕の内側で大きな鐘を鳴らしたかのように。エマの正直さに感謝しつつも、同時に大きな動揺が僕を襲った。エマは翌朝が早いと言い、早々に席を立った。

カフェを出て、ひとり雨の中を歩いた。エマとの別れ際、彼女は「また会いましょう」と言った。

その言葉が僕の中でぐるぐると回り続けた。雨に濡れた街を歩きながら、僕は考えた。このまま、エマとの関係を深めるべきか。それとも、ここで全てに終止符を打つべきか。

7年前の痛みが、再び胸の奥で疼き始めた。でも同時に、エマという存在が僕の中で大きくなっていくのも感じる。

雨は止まない。僕の中の葛藤も、この雨のように止まない。エマのインスタグラムの写真が、頭の中でフラッシュバックする。彼女の笑顔。そして、あの筋肉質の腕。

僕は立ち止まった。靴の中まで濡れている。

エマという謎を解き明かしたいという思いと、もう二度と傷つきたくないという思いが、僕の中で激しくぶつかり合う。そして僕は気づいた。この葛藤こそが、新しい物語の始まりなのかもしれないと。

雨の中、僕は歩き出した。どこへ向かおうとしているのか、分からない。ただ、エマという名前を心の中で繰り返しながら。

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