見出し画像

Step by Step 3月19日 ■□野の花から生き方を学ぶ□■

 からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。…………野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。ルカ12章24-28節


 町のあちこちに小さい春を見つけることができるようになりました。多くの人にとって、小さい春とは花のことだと思います。花屋さんの花でなく野の花(雑草の花)です。去年の秋から冬にかけて落ちた種が、寒い冬を耐え抜いて咲いた花。きれいに手入れされた庭に咲いてることもあるし、物陰に咲いていることもある。時には歩道のブロックの隙間で咲いていることもあるし、更にはアスファルトやコンクリートを突き抜けて咲いていることもありますね。昔は屋根瓦の隙間に咲いている花もありました。あ~こんな所に種が落ちてしまったんだ。でも落ちたところで精一杯キレイに咲いているのを見て感動します。

 イエス・キリストは、あれこれ心配しすぎて気持ちも頭も重くてしんどくなってしまっている人達に、「空の鳥や野の花を見なさい。自然の厳しさの中でも神が彼らを養ってくれているじゃないか」と言われました。実際にイエス・キリストの勧め従って、毎日鳥や野草を見ていると「大丈夫!」という心が芽生えてきた!という人がいるとよく聞きます。

 神は野草や野鳥のことを忘れることはありません。ましてやあなたのことを忘れることなど決してありません。神は雑草の花からでもメッセージを語ってくれているのです。

 ラインホルト・ニーバーの「神が置いてくださったところで咲きなさい」という有名な詩を紹介します。


神が置いてくださったところで咲きなさい
仕方ないとあきらめないで咲くのです。
咲くということは、自分が幸せに生き、
他人も幸せにすることです。
咲くということは、周囲の人々に、
あなたの笑顔が「私は幸せなのだ」ということを、
示して生きることなのです。
神がわたしをここに置いてくださった、
それは素晴らしいことであり、
ありがたいことだと、あなたのすべてが語っていることなのです。
置かれていたところで精一杯咲くと、
それがいつか、花を美しくするのです。
神が置いてくださった所で咲きなさい。
(ラインホルト・ニーバー)


 「神が置いて下さったところ」とは今あなたが置かれている場所や立場のことです。神が置いてくれたところですから、愚痴らずに精一杯感謝しましょう。その場所やその場所の人々の不平や悪口を言うのでなく、目一杯祝福していきましょう。そしてしっかり自分の務めに励みましょう。神が置いて下ったからには、そこに必ず宝が隠されています。愚痴ったり、不平不満・悪口を言っていると、その宝を発見できません。

■祈り■
 神よ、あなたは自然界を通しても私にメッセージを語り、励まして下さることを感謝します。自然界を通して聞こえてくる神の声を聞くことができるように助けて下さい。イエスの御名によって、アーメン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?