Step by Step 7月28日 ■□手と手を繋いで□■

イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。マルコ1章41節


 僕はコンビニおにぎりが苦手なんです。食べれないという訳ではありませんが、なんか寂しくなるんです。やっぱりおにぎりは人の手で一つ一つ握ってくれたものがいい。多少形がヘンテコでも、味にばらつきがあっても、人の手で握ったおにぎりは不思議と心を温かくしてくれます。あくまでも超個人的な感覚ですが。

 昔から病気やけがの処置をすることを「手当て」と言います。小さい頃、高熱で苦しんでいる時に、お母さんの手が額に当てられたり、お母さんが手を握ってくれていると、なんとなく心が落ち着いて、そのまま眠りに入れたものです。

 また頭が痛い、お腹が痛いときなど、患部に自分の手を当てると、精神的に痛みが和らいでいるように感じます。お医者さんも手で触診をして患者さんの病状を尋ねることがありますね。

 ある人は、人間の手のひらには「気」というものがあって、手を当てることによって「気のパワー」を送ることができると説明しています。また、不思議なもので、手のひらを合わせる、つまり、合掌すると、散漫していた心が落ち着いてきて集中できるようになります。僕は牧師ですが、心が散漫になって祈りにくいときは、合掌して祈ることがあります。合掌は手のひらを合わせることであって仏教のポーズだと決まっているわけではありません。

 手のぬくもりや手当には不思議なパワーがあるようです。それは、手当をしたり、手を握ったりすることによって、身体と共に霊魂で人と人が繋がるからではないでしょうか。クリスチャンの場合は、祈ることを通して、そのつながりに神を迎えますから、さらに豊かな命の交流がなされるようになります。


■祈り■
 神よ、あなたは私達が繋がり合って一つになることを願っています。手を握る、手で触れあうなどの小さな繋がりで、人間関係に心を流すことが出来ますように。イエスの御名によって、アーメン。

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