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命より大切なもの

 敢えて本文そのものを書き記します。

 殉教と聞くと/「命より大切なものなどあるはずがない」/という人がいます。/ですが、命より大切なものを/見つけられずに生きることは、/本当に幸せなのでしょうか。/命より大切だと思えるものを見つけたとき、/わたしたちの命は輝き始めます。

 僕が小学生の時、先生から「自分の命より大切なものはない。自分の命が一番大事なんだよ」と何度も教えられた記憶があります。言ってる内容に間違いはありません。でもその言外に「自分の命を犠牲にすることは馬鹿らしいことだ」とおいう意味が込められていたんじゃないかと今振り返れば思います。

 私たちって、自分のためだけに生きていると、命が内にこもり淀んでしまうのではないでしょうか。自分以外の誰かのために、何かのためにという「目的」「使命」のようなものが必要なのではないでしょうか。本文が言っているように「命より大切なものを見つけられずに生きることは、本当に幸せなのでしょうか。命より大切だと思えるものを見つけたとき、わたしたちの命は輝きだす」のです。

そうです。「献身対象の喪失」が私たちの命を淀ませるのです。

 ビクトール・フランクルという心理学者は「現代人がストレスフルなのは、緊張する場面が多すぎるからではない」と言いました。「そうではなく、目指すべき“理想”もなければ“目標”もない。成し遂げなければならない“使命”もない。どこまでも“真っ平らな世の中”で、緊張感がなさ過ぎることが、現代人のストレスフルの原因だ」と言いました。

 その通りだとおもいませんか。私たちには、命をかけて守りたい!命をかけて到達したい!命をかけて成し遂げたい!という対象が必要なのです。

 あなたはそのような対象を持っていますか?またあなたがその対象に向かって突き進んでいくとき、あなたの家族を幸せにし、この社会に貢献し、神の素晴らしさを現しているでしょうか。

 命より大切なもの。それが私たちの命を輝かせます!

***参照聖句***
わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。使途20章24節

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