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謙遜について

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 謙遜とは自己卑下でも自虐感情でもありません。多くの日本人はそこを混同してしまっているところがあるように思います。謙遜とは、自分の弱さ、不完全さを認めた上での自尊心です。自分の弱さや不完全さだけを見て「わたしは何もできません」と自分を引っ込めることが謙遜ではありません。自分の弱さを知りつつも自分の強みを正しく評価して「できるかどうか分かりませんが、精一杯やってみます。できないところがあれば手伝って下さい」というのが謙遜です。謙遜は相手を高くすることはあっても、決して自分を引き下げることはしません。

 クリスチャンにとって謙遜とは、「罪赦された罪人」であることを知りながらも、「神の目に高価で尊く、神に愛され、神に祝福され、神から栄光を受ける神の子」であることを喜ぶことです。日本人は基本的に良心的なので、ついつい自分に厳しくなりがちで、自己卑下に傾きやすくなります。「私はもう完全に赦されました。愛されている神の子です。嬉しいです。最高~!」というよりも「罪赦された罪人なので、まだまだ罪を犯します。お赦しください」と言う方が落ち着く人が多いように思います。

 しかし神は、私達が神の救いをストレートに受け取り、素直に且つ率直に救いを喜ぶことを求めています。私達がマイナスを見て塞ぎ込むのでなく、プラスを見て喜び感謝することを神は喜ばれます。

そうなのです。謙遜とは神の言葉に対して空洞になるということです。空洞になるとは発せられた言葉しか響かせない!ということです。自分に語られている神の言葉しか響かせない。そこに自分の言葉や他人の言葉を一緒に響かせないのです。神の言葉のみを響かせ、神の言葉を受け入れるのが謙遜です。

 自分を知れば知るほど自分の不完全さに打ちのめされますが、神を知れば知るほど自分の価値の大きさに感動します。自分を知ると共に、いや、それ以上にもっともっと神を知っていきましょう!神の言葉を心に響かせ、納得しましょう!私達はもっともっと素晴らしい存在であるはずです。


***参照聖句***
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43章4節

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