ありのままを受け入れられる

 「受け入れられることによって受け入れることができる」。理屈は分かりますが、ありのままを受け入れられた実感はなかなか難しいのではないでしょうか。

 「ありのままで受け入れられる」体験には、一つの前提が必要かもしれません。それは「こんな自分が受け入れられるはずがない」という状況です。

 自分でも想定外の失敗や罪を犯し、それまで無意識に作ってきた対外的、対自分的なイメージが崩れてしまった状況です。ある意味、丸裸になった状況。もろに“ありのまま”を曝け出す状況。そんなときに、「それでも」あなたを愛しているよ。「それでも」あなたは素晴らしいよ。「それでも」あなたの味方だよ。「それでも」あなたを見捨てないよ。こんなことを言ってくれて、その通りに接してくれた時、「ありのままを受け入れられた」という実感を味わうことがで着るのではないでしょうか。

 キリストと出会い、人生が見事に180度変えられた人物にザアカイがいます。彼は取税人でした。現代風に言えば、法律で認められた超あくどいサラ金
業者のような人物でした。しかも彼は何人もの部下を操っているリーダーでした。彼がどれだけあくどくお金を儲けていたことが分かるでしょう。豪邸に住み、グルメ三昧の日々だったに違いありません。ザアカイはその町一番の嫌われ者でした。

 そんなザアカイにキリストは出会われました。キリストは彼に「今晩、おまえの家に泊まるから」と言われ、彼の家に入り、彼の豪勢なもてなしを受けました。

キリストは彼のあくどい仕事、あくどい仕事で建てた家、あくどいお金で用意された豪華な食事をなんの嫌みも言わず食べました。そしてザアカイとの対話を楽しみました。ザアカイは、キリストにありのままを受け入れられた感動で、完全に回心してしまいました。

 キリストは、あなたの真のありのままをご存じです。それをご存じの上で、ありのままのあなたを抱きしめ受け止めてくださいます。ザアカイに起こったことはあなたにも起こります。

***参照聖句***
イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。ルカ19章5-6節

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