人生の主人公として生きる
聖書にはこういう言葉があります。
***あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の/まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。/神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。/わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。詩編139篇16-18節***
神は私たちひとり一人の人生シナリオを書いてくださっている!というのです。これは私たちの自由意志や努力を否定する宿命論・運命論ではありません。
なぜなら神は愛であり、私たちへの愛からそのシナリオを書いてくださっているからです。愛からシナリオが書かれている以上、決して押しつけではありません。私たちの自主的な応答と参加を求めておられます。
私たちが神に反抗することでそのシナリオから遠ざかることもできますし、私たちが悔い改め、神に従うことによってそのシナリオとしっかり噛み合い、シナリオを動かし始めることもできます。
もう一つ神が書かれているシナリオの特徴を示す聖書の言葉を紹介します。
***主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。エレミヤ29章11節***
平安と将来と希望を約束するシナリオです。それは私たちの神への応答と努力によって具体的になっていきます。
神が書かれた私の人生のシナリオの主人公は勿論「私」です。神が書かれたシナリオは平安と将来と希望を約束するシナリオですから、人生途上の試練、苦しみ、困難、悲しみから逃げ出してはなりません。主人公が逃げ出してはストーリーが成り立ちません。神は時にそういう“きつい期間”を通して、シナリオの展開を一段階引き上げようとされるからです。神は、そういう“きつい期間”に必要な助け手を送ってくださいます。
私たちは、神が書かれたシナリオの主人公。いろいろあっても完走しましょう。
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