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Step by Step 8月29日 ■□誘惑対処法□■(今日は相当長いですよ)

もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。1ヨハネ1章9節


 マルチン・ルターが誘惑についてこう記しました。「頭の上を誘惑の鳥が飛び回ることは、だれにも避けることができない。 しかし、その誘惑の鳥が、髪の毛の中に巣を作ってしまうのを防ぐことはできる」。面白い譬えです。その通りです。誘惑に会うことは避けられませんが、誘惑に陥らないようにはできます。

 この世の中は誘惑だらけです。たわいもない誘惑から深刻な誘惑まで様々です。誘惑に対して私達はどのように対応したら良いでしょうか。

①誘惑。それは私たちを悪や罪に誘うものです。誘惑の権化は悪魔です。聖書では悪魔を「敵対者」「妨げる者」「誹謗する者」「訴える者」と呼んでいます。悪魔の本質は嘘つきです。嘘で誘惑し、誘惑に陥った人を責め立て追い詰め、滅ぼしていきます。

②“誘惑に会う”ことと“誘惑に陥る”こととは全く別のことです。多くの人(特にクリスチャン)は誘惑に会っただけで「誘惑に会ってしまった自分はなんて汚れた弱い人間なんだ。誘惑に会わない清く強い人間にならないと!」と言って自分を責め始めてしまいます。こんなふうに自分を責めること自体が悪魔の思うつぼなのです。

 考えてみてください。キリストでさえ悪魔の誘惑に会っているのです。心が強い弱い、清い汚れているなど関係なくす誘惑に会うのです。誘惑に会わない状態になるには死ぬしかありません。誘惑に会ったことで自分を責めないでください。

 特に男性。魅力的な女性を目で追ってしまうことで自分を責めないでください。性的欲求に耽ると罪に陥ったことになりますが、性的欲求を感じることは自然なことで罪ではありません。

③誘惑必勝法は「逃げるが勝ち」です。その場から立ち去り、心を別の方向に向けることです。誘惑に勝とうとして、誘惑に向き合えば向き合うほど、誘惑に足をすくわれます。誘惑と戦わない。逃げるが勝ちです。

④でもやっぱり誘惑に負けてしまうことが多いのが、私たちではないでしょうか。誘惑に負けることが多くても、それであなたが特別に罪深いのではありません。それが人間としての標準なのです。ですから自己嫌悪や自責の念で苦しまないでください。

⑤誘惑に負けた時、直ぐに正直に神に告白し、罪を赦していただきましょう。聖書にはこういう約束があります。

『もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。』(1ヨハネ1章9節)

 この神の約束に従って、正直に神に告白するのです。「告白」とは字のごとく、「告げて白くなる」という意味です。神は赦し清めてくださいます。そうです。誘惑に負ける度にこの約束に立ち帰るのです。厚かましく何度でも。神はそんな厚かましさを歓迎してくださいます。

⑥悪魔はしつこくあなたの過去の罪や失態をほじくり返して責め立ててくるでしょう。ある意味、常識的な理屈で過去の罪をほじくり責め立ててきます。そして「それでもクリスチャンか…。それでも人前に立てるのか…。それでも成功できると思っているのか…」なんてことを囁いてきます。その時は必ずこう言って悪魔を追い返してください。「そうだ!私はかつてそんな罪を犯した。しかし神に罪を告白し、キリストの十字架の救いによって完全に赦された。神によって赦された私を悪魔が責め立てることができない。悪魔よ、立ち去れ。悪魔よ、お前の相手をしている暇はない」と。

⑦最後に。神によって赦されている自分を自分でも赦しましょう。神が赦してくれているのに、いつまでも自分の理想にこだわって自分を責めつづけることは、神が喜ぶことではありません。素直になって、神によって赦された自分を自分でも赦し、喜び感謝しましょう!赦された自分を楽しみましょう!


■祈り■
神よ、誘惑から私を守って下さい。誘惑に対して健全に対処することが出来ますように。イエスの御名によって、アーメン。

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