Step by Step 6月17日 ■□怒りをコントロールする□■

 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。ヤコブ1章20節


 疲れている時は、心に余裕がなくなっているので、何気ないひと言にも過剰に反応してしまうことがありますね。でも自分をよく観察してみると、疲れている時でも、過剰に反応しない言葉もあります。

 そうだとすると、それは単に疲れていることだけが理由ではないように思います。
ある言葉に怒りがこみ上げてきたら、「なんでこんな言葉に過剰に反応してしまうのだろう」と自分自身を探ってみてはどうでしょうか。確かに疲れていることが原因なら、怒りを過剰に展開せずに、その場を離れて深呼吸しましょう。

 それとも、その怒りは、過去にそれに類した言葉で傷ついた心が反応しているからかも知れません。そうだとすると要注意です。なぜなら、過去が過去にならずに、現在に転化しているからです。その言葉をスルーできずに、過去の怒りが引きずり出されて爆発しているからです。

 癒えていない心の傷は心の地雷のようなものです。地雷を踏んでしまった人は災難です。なんでそんなに怒られるのか分からないからです。地雷を抱えたまま生きていると、多くの人間関係を積み上げては潰し、潰しては積み上げるということを繰り返すことになります。

 心の地雷を撤去しましょう。そのためには、地雷を踏まれて怒りが爆発したと
きに、自分のどこが地雷になっているかを探りましょう。また地雷が爆発するパターンを検証してみましょう。そうすれば、地雷を撤去できたり、地雷を踏まれても爆発を最小限度にコントロールできるようになるでしょう。

 怒りそのものは罪ではありませんが、怒りによるやり過ぎ、言い過ぎは罪を生産してしまいます。

■祈り■
 神よ、怒りをコントロールできるように心の余裕を私にください。1回きりの人生を怒りで棒に振ることがないように助けて下さい。イエスの御名によって、アーメン。

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