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Step by Step 8月24日 ■□祈りで問題を超越する□■

神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。1ペテロ5章7節

 自分自身や家族のこととなると、プライド、こだわり、好き嫌い、世間体、過去の傷、意地っ張りなどの余計な感情が絡んできて、問題を客観的に捉えにくくしてしまいます。ですから本来の問題は単純なことであったはずなのに、いつの間にやら複雑なことになってしまいます。

 そんなとき、自分の問題や家族の問題を、同じ問題を抱えた友人からの相談として受け止め直すことができたなら(第三者的に受け止め直せたら)、それらの問題を冷静に複眼的に捉え直すことができ、問題解決の糸口が見えて来るかも知れません。

 では自分や家族の問題をどのようにすれば第三者からの相談のように受け止められるのでしょうか。その一番良い方法は「祈る」ことです。

 キリスト教の祈りは、瞑想や座禅とは違い、自分の外にいる絶対者にして愛なる神に祈るというのがキリスト教の祈りです。そうです。瞑想や座禅は、問題を自分の中で転がし続けるという面が多いと思います。しかしキリスト教の祈りは、自分を遙かに超越した絶対者にして愛なる神に、自分や家族の問題を祈ります。

 聖書によれば、そのようにして祈った問題は、問題解決の責任の所在が私から神に移動すると記しています。私や家族の問題は祈りを通して神の問題になるのです。更に聖書の約束を握ることによって、問題を神の側から捉え直せるようになってきます。自分や家族の問題なのに、第三者のようにその問題を捉え、不思議な平安や喜び、希望が溢れてくるのです。

 勿論、問題に直接向き合うのは私たちですが、もはや問題に飲み込まれたり、問題に振り回されたりしません。問題を正しく判断し、その問題を通して自分を成長させることによって、問題解決へと向かって行くことを知っているからです。

 問題と直接対決して苦しんでいる方。是非キリスト教の祈りをもってその問題と向き合ってください。問題への囚われから心が解放されます。問題から心が自由にされたのなら、どのような対応でもできるようになります。


■祈り■
 神よ、あなたより大きな問題はこの地上に存在しません。ですから、問題に飲み込まれそうになった時、しっかり神に祈ります。祈ることによって問題を受け止め直すことが出来ますように。イエスの御名によって、アーメン。

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