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Step by Step 8月9日 ■□平和を作り出す□■

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。コロサイ3章15節


 日本人にとって8月は否が応でも「戦争」の記録をよみがえらせ、「平和」を祈願する月となります。僕は自虐史観的に戦争や平和を想起したくないと思っています。僕にとって世界平和について考えるのは荷が重いので、今日のエッセイでは、日常の人間関係の平和について綴ります。

 私たちは、ある意味、“平和の一方的な押しつけ”をしてしまうことがあるのではないでしょうか?つまり、相手の思いや願いを配慮せず、相手のために良かれと自分が思ったことを押しつけてしまうってことです。自分としては「よし、頑張ったぞ!」と自己満足し、相手に対しては「してあげたんだから喜んでくれるよなっ!」と要求する。でもそれは相手にとっては的外れなこと。だから相手からは期待外れな反応が帰ってきてしまうんです。「なんでやの!これだけしたったのに…もっと喜ぶべきやろう…」と腹が立ち、険悪な雰囲気になります。すれ違い交流です。

 「平和」とは関係概念です。双方交流の言葉です。単に争いがないということではなく、そこに愛やぬくもり、幸福感が行き交っている関係が「平和」です。

 聖書の言葉では「シャローム(平和)」と言います。この「シャローム」という
言葉は、文脈によっていろんな日本語に翻訳できます。例えば、「平安」「幸福」
「繁栄」「成功」「喜び」「勝利」などです。そうです。愛やぬくもり、幸福感が通い合う平和な関係がすべての幸福の土台となるのです。

 ではどうすれば、そのような平和な関係を築くことができるのでしょうか?思いつきや感情で、すぐに言動してしまわないことです。今から言うこと、今からすることは、愛とぬくもり、幸福感が行き交う平和な関係を築くことになるだろうか…と自問自答してみることです。築くと判断したらする。築かないと判断したらしないということです。時には相手に「何をすればいいかな?」「○○をして欲しいんだけど」と直接言ってみるのも良いかもしれません。少々面倒なことですが、身につけるべき習慣だと思います。


■祈り■
 神よ、私達の本当に望むのは全ての幸せの土台となる平和です。世界平和まで手を出すことは出来ませんが、自分の家の中でそのような平和を作れるように導いて下さい。イエスの御名によって、アーメン。

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