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Step by Step 3月7日 ■□本当の偉さ□■

 「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子(イエス)がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。マル10章42-45節


 本当に偉い人は、どんなに偉くなっても思い上がりません。また、目の前の人がどんな人であっても大切な一人として誠実に向き合うことができます。また、どんなに小さなことでも喜んで取り組むことができます。本当の偉さとは、TPOにおいて高さと低さの幅が広いということでしょうね。公式の場では堂々として発言し、そういう人々と交流することができる。公式の場を降りると僕のように喜んで仕えることができる。このバランスが偉さなのでしょうね。

 こういう高低幅が半端ない偉さの最高のモデルがキリストです。聖書はこのように記しています。

 『キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。』ピリピ2章6-9節

 キリストは「神のあり方」を惜しみなく捨てることが出来ました。それに反し、私達は「自分のあり方」に執着し、「自分のあり方」を守るために時には高圧的になり、時には人を厳しく批判したりします。ところがキリストは「神のあり方」を捨てて、最も低いところに来てくださったのです。それは私達に神の愛を示し、私達のために救いの道を完成するためでした。それ故に神はキリストを最高の立
場に引き上げなさいました。ここにキリストの偉さがあります。

 ですからキリストは口を酸っぱくして弟子達に冒頭のことを語ったのです。

 あなたの高低幅はいかがですか?少しずつでもその幅を拡げて、本当の偉さを身につけたいですね。

■祈り■
 神よ、キリストを通して、本当の偉さを教えてくださってありがとうございます。この本当の偉さを実践して、自分や周りの人達を幸せにできることを体験させてください。イエスの御名によって、アーメン。

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