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Step by Step 6月23日 ■□犠牲の意味□■

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。ローマ5章8節


 私達の生活は、誰かの、何かの犠牲の上に成り立っています。この事実を否むことは出来ないでしょう。そうです。命は命あるもの(野菜のいのち、家畜のいのち、魚のいのち、など)によってしか養われません。

 また、私たち一人ひとりが成長していく過程で、もし誰一人として犠牲を払ってくれなかったら、途中で死んでいたでしょう。両親が自分の子供に犠牲を払わなくなったら、子供は生きていくことはできません。いのちある者は、いのちの者の犠牲によっていのちを保つことが出来るからです。これがいのちの原則です。

 ここで犠牲を定義しておきましょう。犠牲とは、大切な人を守り幸せにするために、自分へのこだわりを捨て、自分の願いや大切なものを後回しにすることです。自ら進んでその犠牲を払うときもあるだろうし、歯を食いしばって犠牲を払うこともあるでしょう。どのような犠牲であれ、犠牲によって他の人の生活が守られ、幸せが支えられています。

 ですから、絶対に忘れてはならないことは、犠牲の大小にかかわらず、犠牲を払ってくれた人への感謝です。今の生活が誰かの犠牲の上になり立っていることを当たり前のこととせず、その尊い犠牲に感謝を捧げ、犠牲を払ってくれた人を尊敬することです。

 「自分のいのちが一番大切なんだ」という風潮が社会全体に染みこんでいる中で、星野富弘さんのこの詩はインパクトがあります。

命が一番大切だと思っていた頃 / 生きるのが苦しかった
命よりも大切なものがあると知った日 / 生きているのが嬉しかった

 勿論、自分のいのちは物凄く大切です。ですから粗末に扱ってはいけません。だからと言って、自分のいのちだけしか考えないとするなら、人生に何の輝きも溢れてこないでしょう。誰かのため、大切な目的のために、自分自身を投げ出していく時に、私たちはこの上ない喜びを感じるように造られているのではないでしょうか。

 犠牲に対する正しい意味づけをしましょう。犠牲に対して正当な評価と具体的な感謝を表せる者になりましょう。そうすれば、世界はもっと良くなります。

 最後に、私たちのために最も大きな犠牲を払って下さった方がキリストです。このキリスト犠牲によって人類の歴史は大きく変わりました。にも拘わらず、最も誤解され、最も忘れられているのもキリストの犠牲です。キリストが誰のために、何のために犠牲を払って下さったのか考えてみませんか。

■祈り■
 神よ、あなたはこの世界にいのちの原則を組み込まれました。いのちはいのちによって養われます。この原則を真摯に受け止め、感謝を捧げ続けることができますように。イエスの御名によって、アーメン。

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