目の前の一人に

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 全人類は愛せるのに、目の前の1人を愛せない…ということはよくあることではないでしょうか。私達は、全人類という人格がなく関係性のない抽象的なものは愛しやすいのですが、目の前の人という具体的な人格があり、関係性のある人は愛しにくい場合があります。しかし私達にとって大事なことは、抽象的な全人類を愛する以上に、目の前の具体的な1人から愛することです。

 キリストの有名なたとえ話で「善きサマリア人」というのがあります。

 聖書の専門家がキリストに言いました。「私の隣人ってだれですか?」と。するとキリストは「善きサマリア人」譬えを話されました。
 ~1人の旅人が強盗に遭い、半殺しの目に遭って倒れています。そこに宗教家が通りかかると見て見ぬふりをして道の反対側を通って行ってしまいました。神の宮で仕事をしている人も通りかかりました。彼も宗教家と同じように通り過ぎてしまいました。3人目に通りかかったのはコミュニティから差別されている人(サマリア人)でした。彼はケガ人をかわいそうに思い、抱き上げ、自分が泊まるホテルまで連れて行き、看病しました。次の朝、ホテルの支配人にこのケガ人を託し、その費用を全額出して仕事に出掛けました。~
 キリストはこの譬えの結論として聖書の専門家に聞きました。「この3人の内、誰が目の前で倒れている人の隣人になったか」。彼は答えました「ケガ人の世話をした人です」。キリストは彼に言いました。「あなたも行って同じようにしなさい」。

 このお話の重要なポイントは、「だれが隣人だろう?」と選り好みするのでなく、今目の前にいる人に対して「自分から隣人になっていく」ということです。

 愛は先ず自分から能動的に発動するものなのです。といってもキリストの譬え話のように、重傷人をお世話するキッカケを狙いなさい!ということではありません。電車で目の前に椅子を譲る人がいたら譲ってあげる、困っている人がいたらちょっと声を掛けてあげる、というようなことで良いのです。「自分から隣人になっていく」。このスピリットを忘れないでいたいですね。

***参照聖句*** 
 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。ルカ10章36-37節

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