自分自身を大切にする

愛とは自分の大切なものを相手ために差し出すことです。

ところが本文のように、自分自身を大切にできない人がいます。本当は歴史始まって以来の唯一無二の価値ある存在なのに、様々な辛い経験から自分自身を大切にできなくて、自分を粗末に扱ってしまい、つまらない価値のないことに自分自身を差し出してしまうことがあります。そして益々自分自身をつまらないものへと引き下げてしまうのです。

でも心の底では「自分を大切な者だと思いたい。自分を大切にしたい。」という深い呻きを持っています。そんな呻きに偽りの愛でつけ込んで、「愛しているならいいだろう…、愛しているなら証拠を見せてくれ…」と傷ついた人を利用する悪い人もいます。

そんな魔の手に引っかからないために、自分自身がどれだけ価値ある存在で、愛されている存在であるかを知る必要があります。でも大人となった今、どうしたら知ることができるのでしょうか。

それは神と出会うことです。神に出会うとは神の言葉と出会うことです。聖書にこういう言葉があります。


**わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。イザヤ43章4節**


この聖書の言葉「わたし」を「神」に入れ替え、「あなた」を「あなたの名前」に入れ替え、「人」と「国民」を「キリスト」に入れ替えて、心を込めて何度も声を出して読んでみてください。

心を込めて何度も言っているうちに、神の愛が心に染みこんでいくので感じるようになります。

あなたの過去にどんなことがあっても、あなたの現在にどんな罪や失敗があっても、神はあなたとキリストを引き替えにするほど、あなた自身に価値を見いだし、大切にしてくださいます。そして神はあなたの未来を良いもので満たしたいと願っているのです。

***参照聖句***
人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。マルコ8章36-37節

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