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ここからが本格指導開始

さて、指導者資格を取得して3年目。
正確に言うと、3.5年と初めて担当カテゴリをもちました。
担当は中学年(今で言うとU9・U10)という表現になるかと思います。
当時、3年生は1名しかいない状況でしたので、試合はギリギリの人数。
選手の数だけお父さんコーチという感じでした。
とにかく、チームの考えとしてこの年代はドリブルをさせてくれということで、練習内容もドリブルメイン。
ゲームをやっても、ワンタッチはNG。
これはなぜかというと、いわゆる「メチャ蹴り」防止です。
前の年まで、とにかく蹴れ!走れ!って言われていた選手たち。
そのクセを矯正に入った感じです。
また、なぜドリブルかというと、これはあとから知ったのですが、同一ブロック内でドリブルだけのチームが有り、そこと他のが苦戦が試合を行った際に、監督が感化され、お父さんコーチで息子思いの方が、それを強く押したようです。
ただ、当時のチーム状況からすると、それがはまった感じでした。
担当したカテゴリは、スクールに何名かが通っていることも有り、それなりにサッカーというか子の技術は高目。
止める蹴るについては、徐々に出来るようになった感じです。
バタバタしながらも、選手の成長は速く、みるみるうちに万年予選リーグ敗退から、最初の5月の大会で結果を出してくれました。
そこからは、順調に選手も成長しました。
ただ、みんな同じ学校ということで、学校の序列がサッカーにも持ち込まれてしまうことが徐々に見えてきて、ある選手がターゲットになっていたりしたことも有り、その点では、いかにその選手が出来たときに褒めるか?など、メリハリをつけて対応した記憶があります。
この年度が終わりに近づく頃に、3名の選手がスクールに通っているチームのセレクションに合格し、抜けていきましたが、それは特に何も感じませんでした。
一つは、抜けても上の学年に上がって何とかなるという思いと、上を目指しているのだからという思いでした。
まあ、これをめぐっては、あるお父さんコーチと後々一悶着あることにはなります。
まあ、特に波風も立たず、結果も出たことで、本格指導1年目は無難な門出でした。
2年目は、同じカテゴリで、唯一の4年生が抜けてしまい、なおかつ下の学年から1名前期のセレクションに合格(4年生~なのですが、飛び級ではいってしまいました)した関係があり、13名くらいからのスタートとなりましたが、これはこれで、貴重な経験をしました。
以降は次回に。

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