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「住む」ということへの優先順位

昨日のSUSONOのイベントに参加して「住む」ということについて改めて自分はいまどういう結論が出るのか気になってきたので、思いつくままに書き留めておこうと思う。

わたし自身は25歳になるまで実家で過ごしていた。なかなかに交通の便が良い立地であったことから、余程のことがないかぎり引越すことを考えられない場所で、ずいぶん大人になるまで甘えさせてもらっていたなあと思う。

しかし、家はそこまで広くはなく、漫画やテレビに出てくる「一人部屋」というものに小さいころから異様に憧れていた。

こどもの頃は駅においてある「ご自由にどうぞ」の賃貸雑誌を電車に乗るときに一冊もらって読むことが移動中の楽しみだったくらいだ。この家だったらわたしはどこの部屋に住もうか。この部屋だったらわたしはどんな配置で家具を置こうか。考えても考えても尽きない幸せな妄想タイムである。

「家についてのこだわり」は小さいころは常に考えていたように思う。

実家というのは、自分が生まれてから長く住む家ではあるけれど元々両親が作ってきた家に途中から参加するに過ぎない。なので、夢ばかり膨らんだところで自分の理想郷が実現する可能性はかなり低い。また、当たり前だけれど自分以外の人間が住んでいるわけなので、置かれる家具や小物も「いいな」と思うものばかりでなはい。各々こだわりはあるのかもしれないけでど、それらが集まると非常に雑多になってしまう。

だから、完全に一人暮らしを始めよう、となったとき「絶対に最初が肝心」だというのはわかっていた。そこまで几帳面な性格でもなかったから気が緩むとすぐに「実家みたい」な家になるであろうことも容易に想像がついた。

注意深く動くことに成功したわたしは自分の理想の部屋を手に入れた。どこを見ても自分の選んだもの、すきなものしかない部屋って最高だな!とわたしは一人暮らしを大いに満喫した。

しかし、同じところにいつまでもいられない性質と、旅に出たい欲求が高まったわたしはそんな最高な一人暮らしを一年とちょっとで手放し、荷物をすべてまとめてしまう。

旅に出ている間はいろいろなところに泊まった。知らない人の家に泊まったこともあったし、知らない男の人もたくさんいて30人くらいが同じ部屋のときもあったし、ホステルなのに家主とその犬と同じ部屋で寝たこともあった。それのどれもがわたしは苦痛とは思わず、旅だからと割り切っていたのかもしれないけど、住むことに対しての自分の優先順位はそこまで高くないのだろうなとわかった。

日本に戻ってきて、いまは一軒家にたった一人で住んでいる。

実家よりも、格段に広い場所に一人ぼっちで住んでいるので、さみしいなと思うかもしれないと住み始める前はちらりと考えた。しかも元々たくさんのものがすでにある状態での引っ越しんなので、もう理想郷は作れない。しかし、それはそれでまあ、ありかとも広い部屋に大の字で寝っ転がりながら思えている。

実家にいたときはほかの場所で住むことなんて考えることすらできなかったから妄想ばかりたくましくなっていった。けれど、人と暮らして、ひとりで暮らして、旅先で暮らしてみて、いま。どこに住んでも楽しくやれるんだな、と実感をもって言えるようになった。

帰る場所はほしい。

安心して熟睡できるおふとんもほしい。

だけど、多分わたしはどこにおうちがあっても楽しいと思える気がする。わたしにとって「住む」というのは場所ではなくて、「そこが落ち着けるかどうか」の判断基準でしかないのかもしれない。

「衣食住」のなかでは、年や経験によって大きく変わりそうなこの「住む」ということ。5年後には、いや3年後には大きく変わっているかもしれない。そんなわたしがこれを読んで笑う日が楽しみだ。

もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。