ラサール石井氏の炎上から学ぶ「認知バイアス」の恐ろしさ

ラサール石井氏のXポストが炎上した

Xのラサール石井氏ポストより
※現在削除済み

一応、ラサール石井氏は誤認情報を拡散した事を謝罪するポストを後に投稿している。


Xのポストより

冷静に事実関係をチェックしている人にとってみれば、

 「そもそも、何処からこんな誤認をする破目になったのか?」

から疑問に思うところではある。
ただ、私はこの誤認に対し、ラサール石井氏の情報収集能力、分析能力の低さを直接的に論ずる事は、余り意味が無いと思っている。

この誤認から我々が真に学ぶべきは、

 「認知バイアスが如何に客観的視点を失わせ、思考力を奪うのか」

この一点だと私は考える。
今回は、この「認知バイアス」の恐ろしさを論じる。


「認知バイアス」とは何ぞや?

人は2つの「理解」を組み合わせて生きている

人は生きて行く中で、常に判断を迫られ続ける。
「人生の選択」的な仰々しい話ばかりではなく、ある物を見て好き嫌いの感情を抱いたり、会話の中でどんな返答をしようか考えたり、日常の中での話でもある。

そう言った判断の元として、その時点で自分がある対象について、どのように「理解」しているのか?は大きな影響を与える。

ここで「理解」と一語で示したが、この「理解」には実は2種類あるのだ。
それが

  • 「直感的理解」

  • 「論理的理解」

だ。

「直感的理解」とは、先入観や経験則、まさに「直感」に頼った理解の事を指す。
脳の反応として素早い回答を用意するのに適してはいるが、それが真に正しい回答だったのか、後で自問自答すると正しさを担保出来ない事に自身でも気付く場合もある。

「論理的理解」とは、「直感的理解」を引き起こす先入観や経験則、直感などを排し、理詰め、論理的な正しさを大切にした上での理解の事を指す。
また、「論理的理解」を導き出す為の思考力、「ロジカルシンキング(論理的思考)」はビジネスの場面で必要な能力として言及される。
その思考形式の定着、個人やチーム育成の方法論など、ビジネス用語や教育論などでも見掛ける事があるかも知れない。

注意:「直感的理解」が悪い訳じゃない

このように2つの「理解」を並べられれば、

 「『直感的理解』は迂闊な判断に陥りやすい
  『論理的理解』はより正しい結論を導きやすい
  なので、極力『直感的理解』ではなく『論理的理解』を心掛けましょう」

的な結論を期待されるかも知れない。
論理的な正しさを求められた時に「論理的理解」を意識する事は当然大事な事ではあるが、人生のあらゆる場面で「論理的理解」を求める事は現実的でないし、それが人生にとって有意義であるかも担保し得ない。

人は「感情の生き物」でもあり、感情、情緒を常にそぎ落とし、何に対しても深く思考するばかりの人間は、客観的にかなり特殊な存在に映るだろう。
そう見られたい人ならそれはそれで自由だが、そうじゃなければ「直感的理解」に従った言動を極端に恐れる必要は無い。

また、『直感的理解』は『論理的理解』と”必ずしも一致しない”だけであって、『直感的理解』が『論理的理解』と一致する事も普通にあるのだ。

更に言うと、『論理的理解』当人の持ち得る情報、知識との検討の上でなされるものだから、検討材料が乏しければ導き出した『論理的理解』の正しさも保証できない
全知全能の人間などいない。となれば、時間を掛けて導き出した『論理的理解』が根本から間違っているなんて事は、ざらに起こるのだ。

あくまで、『論理的理解』は『直感的理解』よりも慎重な検討の上で出された『理解』だ。
なので、
 「『論理的理解』を常に志向すれば、間違う事は無くなる」とはならない事は大前提として知っておく必要がある。

誰も「認知バイアス」から逃れる事は出来ない

「認知バイアス」は誰しもが持っている。

 「私は認知バイアスを持っていない」
と主張する事は可能だが、それが実際に意味するところとは、
 「『私は認知バイアスを持っていない』と言う『認知バイアス』を持っている」
事を意味する。

 「貴方がもし『今まで嘘を吐いた事が無い』と言うのならば、
  貴方は『嘘吐き』だ」
と似ているかも知れない。

現実に出来るのは
 「認知バイアスを極力排し、確度の高い情報を求め、客観的で正確と思われる理解に努め続ける」
くらいが限界だ。

ラサール石井氏のポストの検討

1月12日ポストを検証する


Xのラサール石井氏ポストより
※現在削除済み

岸田総理のポストへの引用ポストだ。
岸田総理のポストは現在、自宅や一次避難所にいる被災者に対し、心身の健康を守る為、国、自治体が確保した二次避難所の利用を勧める内容だ。
これに対し、ラサール石井氏は「被災者がホテル、旅館滞在費を負担するものだ」と早合点し、喧嘩腰で総理に食って掛かったと言う構図だ。

水道、電気、その他諸々のインフラ復旧が実現するまで、まだ時間が掛かる事が予見され、一次避難所も十分な暖を取るのが難しかったり、プライバシーの無い集団避難が続く事で心身にストレスが掛かる事は目に見えている。

東日本大震災においても、直接の地震、津波被害は難を逃れたものの、先の見えない避難所暮らし、仮設住宅暮らしの続く中で将来を悲観し、自ら命を絶つ人が相当数発生してしまった。

こう言った直接的な自然災害からは助かったにも拘らず、自死を選んでしまったり、生活環境の不十分さが持病を悪化させてしまうなどで起こる「災害関連死」は災害対策を論じる上で大きな課題だ。
被災者支援を行う上で、如何に「災害関連死」を減らすかは、災害対応の中で大きく注目されるようになってきた。

それで、元々このような自然災害に備え、より環境の整った避難所を用意する事はその一つだ。
万一の際、一定の金額で部屋の借り上げが出来るよう、予め自治体が事前に契約を結んでいる。
今回は石川県周辺だけでなく、距離のある他県でも受け入れ用意がある事が示され、その総数で現在の一次避難所利用者数を越える人数分のホテル、旅館客室が準備出来た事で、この発表を行ったと言う事。

インフラ復旧まで相当な時間が掛かる事が明らかだっただけに、二次避難所の利用はこれより前から報道されていたし、その中で費用は国、自治体持ちでなされるとの情報も出ていた。

なので、もし、ラサール石井氏が被災者支援に関する報道に感度が高ければ、このような誤解に基づくポストはなされなかったかも知れない。

そして、このポストがそれなりに拡散されてしまった事を受け、岸田総理馳浩石川県知事らが、
 「二次避難所の宿泊費に関して誤情報が広まっているが、国、自治体負担により被災者は無償で利用可能である」
旨のポストを投稿する必要に迫られた。

1月14日ポストを検証する


Xのラサール石井氏ポストより

一応、誤情報を拡散した事について謝罪を行っている。

だが、「どうして誤情報を流してしまったのか」の理由付け、動機として、政府の能登地震対応への憤り、不満を挙げている。

ありがちな
 「やるべきでない事をやらかした謝罪文」
であり、
 「言い訳がましく、十分な謝罪を避けた謝罪文」
となっている。

謝罪文に必要なのは、

  • 何に対する謝罪なのか明確に示す

  • 謝罪の気持ちを読者に伝わるように示す

だけだ。

謝罪対象を明確にする事は、自分の落ち度を認める事でもある。
そして、自分の落ち度を認める事は、「同じ間違いはもう致しません」との表明を兼ねる。

謝罪が必要だと考える人達は、謝罪した人物による問題の歪曲、矮小化に敏感だ。
ラサール石井氏の言い訳ポストに見られるような
 「自分は確かに間違ったかもしれないが、それには理由があったんだ」
との表明は、正にそれに当たる。

 「問題を起こし、迷惑を掛けた人達へ謝罪する気持ち」
より、
 「自分のお気持ち表明が先に来た」
との印象
によって、発言を問題視する人達にとっては不十分どころか、
 「本心では謝罪したくないんだな」
との印象を残すだけ
となった。

ラサール石井氏の謝罪ポストで決定的に欠けているのが、岸田総理、馳浩石川県知事らに、誤情報の訂正ポストを行わせる事になった、その事への反省の弁だ。
自らの誤情報発信により、他者に無駄な労力を使わせたとの観点が無かった、もしくは気付いていたが、其方に対して謝罪の言葉を述べるのは癪だったと言う事かも知れない。
いずれにしても、いい大人のする事でないのは間違いない。

もし私がラサール石井氏に代わって謝罪文を書くとしたら

まずは当該謝罪ポストの添削から。

正月以来政府の地震災害への対応に怒りを感じる連続だったので
(自分の迂闊な発信が、国、県の訂正情報を発信を招いた事を真摯に受け止めるべき。行政対応への不満が残っている場合でも、この件の謝罪文の枕として使うのは不適当。最初から書かない)、

二次避難の呟きにも即反応してしまい、
(過ちを犯した経緯について、事実だけを書くべき。なので、この部分は残しても大丈夫。ただ、言い訳がましい表現は避けるべき)

ホテルや旅館が有料であるかのような誤情報を流す結果になりました。
(この部分を謝罪文の最初に入れるべき。何故やってしまったかの理由は、言い訳がましさが漂わないよう留意しつつ、必要最低限に抑える。ただ、動機が明白だったり、その説明が他責思考に繋がるなら書かない方がマシ。突っ込まれ、問われた時に表現に気を付けながら語るべき)

被災地の皆様にはただならぬご迷惑をお掛けしたことを深くお詫びします。
(誤情報ポストは岸田総理のポストの引用であり、岸田総理や馳浩石川県知事らへもお詫びするのが筋。また、当該ポストを問題視し、指摘、批判していた多くの人を無視しているのもいただけない)

1日も早く平穏な日々が戻りますことを願っております。
(締めとしては無難。これで良いんじゃなかろうか)

ラサール石井氏の1月14日投稿ポストの添削

で、私ならこうする。

先日、私は事実誤認のポストを投稿してしまいました。
二次避難所として用意されたホテル、旅館が有料であるとした私のポストは間違いです。
無料で宿泊可能です。
被災地の皆様、情報発信をされた岸田総理、馳知事、並びに私の誤情報ポストを閲覧した方々にただならぬご迷惑をお掛けしたことを深くお詫びします。
被災者におかれましては、1日も早く平穏な日々が戻りますことを願っております。

私の考えた必要十分な謝罪文

182文字で1ポストに収まらないのはご愛敬と言う事で。

ラサール石井氏の認知バイアスを推察する

あくまで「推察」
認知プロファイリングの素人なので、「当たらぬも八卦」程度の気持ちで流し読みしてくだされば幸いです。

強烈な自民党政権への憎悪

今回の炎上に限らず、定期的に政治系発言で炎上しているラサール石井氏だが、そこに自民党政権への憎しみ、
 「自民党政権 イコール 悪」
の図式が脳内で出来上がっているのは火を見るよりも明らかだ。

これが正にラサール石井氏にとっての最大の「認知バイアス」になっている。

ここで私は

 「ラサール石井氏は、自民党嫌悪を拗らせ、誤情報を拡散してしまった。
  自民党はそんな嫌悪すべき対象では無いのだ」

なんていう事を言いたい訳では無い。
単純に、

 ラサール石井氏は「自民イコール悪」バイアスによって、情報精査も疎かに、より自民党が悪辣な存在である方向で、妄想を逞しくしてしまった

との推察を提示しているだけ、そして今この場で検討すべきは、それだけで十分と考える。
ここを起点に自民党の性質を云々したい訳では全く無い。

また、この認知バイアスの指摘は、ラサール石井氏の思考力、認知能力、情報精査能力などを小馬鹿にする意図も全く無い。
確かに、彼の偽情報ポストは非常に迂闊であり、少し情報をさらえばそれが誤認である事に気付けたはずだ。
その点で、彼の落ち度は指摘しなければならない。

「認知バイアス」の恐ろしさ

だが、私はそこで
 「今回のケースは、彼の思考力、認知能力が低い為に発生した炎上騒動だ」
と語る事には同意出来ない。

認知バイアスは、当人が本来持っている思考力、認知能力を低下させてしまうからだ。
思考する為の前提条件を、認知バイアスがごっそり奪ってしまう
だから、当人的には十分熟慮したつもりでも、思考の直後からあらぬ方向へ論理を積み重ねて行ってしまう。

ラサール石井氏は名門高校、ラサール高校出身で、早稲田大学文学部入学(後に除籍)。
タレント活動としてはクイズ番組等で知識の豊富さを見せる側でもあった。
私個人の評価として、ラサール石井氏の本来の知識、思考力、認知能力などは平均的日本人よりずっと高いのではないかと推察する。

にも拘らず、事、政治に関して語るとなれば、事実確認も疎かに発信しなくて良い事を発信しては炎上している。
彼本来の思考力が発揮されず、多くの人から事実誤認を指摘される。
投稿前に、自身の発信内容が間違っている可能性を十分検討出来なくなっているか、検討しても正しい情報に辿り着く為の手順を確立出来なくなっている。
(その理由を更に推察すれば、その正しい情報の在り処が、ラサール石井氏にとって政治的スタンス的に好ましくない相手の周辺にあり、事実その通りの情報なのか、国民を騙す欺瞞的な情報なのか、判断が付かないからではないか)
これが「認知バイアス」の恐ろしいところなのだ。

まるで「認知バイアス」の実験場と化したSNS

X(旧twitter)は、何処の界隈であってもエコーチェンバーが発生しやすい。
 ※エコーチェンバー:反響室
 ※エコーチェンバー効果:同じ意見の人達の声ばかりに接する事で、その主張の正しさを確信したり、反対論者の意見に耳を貸さなくなる効果

最初から意図的に自分と全く意見が合いそうも無い人を数人フォローに入れておかないと、主張の論理的正当性をきちんと検証する前に、

 「皆が正しいと信じているこの主張は正しいに違いない」

と確信しがちになってしまう事だろう。

更に、SNSにおいては「フィルターバブル」が実装されている。
各種SNSは、端的に言って「個人から時間を奪う装置」だ。
個人が持つ時間は等しく1日24時間だが、SNSに限らずネットサービスはその個人の使う時間を如何に多く奪い取るかに常に注力している。
より時間を使わせたサービスこそが、マネタイズ的な成功へ近付けるからだ。

その結果、生まれたシステムが「フィルターバブル」だ。
利用者の検索履歴、クリック履歴をアルゴリズム化し、当人が好みそうな情報を次から次へと提示して来るのだ。
本人が気付かぬ認知バイアスによって、自分にとって望ましい情報ばかりが表示されやすくなっている。そして、自分にとって望ましくない情報は、その存在すら気付かせないバブルの向こう側にある。

自分自身のネット行動が、自分の認知バイアスを確実に育ててしまう。
これらの仕組みに無自覚のままSNSを利用していれば、利用歴に応じて認知バイアスが大きく育って行く事を止められない。
このシステム上のリスクを自覚している場合ですら、客観性を担保しながら大量の自分好みの情報の精査を行うのは容易ではない。

ラサール石井氏と政治的スタンスの違う人は、彼の炎上を見ながら、その愚かさをただただ笑っているかも知れない。
だが、明日は我が身のネット環境と共に、私たちは生きているのだ。
他人事と思ってみていては、次に痛い目を見るのは貴方(私)かも知れない。

余談:ラサール石井氏を擁護する人達

政治的スタンスがラサール石井氏と近い人の中では、今回の騒動に対するリアクションが大きく二つに分かれたようだ。
(そこまで多くのあちら界隈を覗いた訳ではないが)

事実関係の誤認を早期に認め、ラサール石井氏に
 「流石にこれは早く訂正した方が良い」
と苦言を呈する人達と、
 「政府、自治体対応の酷さが目に余る状況だったのだから、ラサール石井氏の誤認したのも仕方が無い」
と無理筋の擁護を行う人達だ。

共に政治的スタンスはラサール石井氏に近いとは言っても、前者は認知バイアスの影響を低下させる為の行動が出来ている人達、後者は認知バイアスに飲まれる事を拒絶しない立場の人達と言える。

認知バイアスの問題以前に、責任の所在についての見方が歪んでいる人は、第三者に対して論理的で説得力ある話をするのが苦手な状態にある。
今回の件で言うと、ラサール石井氏本人の責任を弱くし、その分だけ政府、自治体へ責任転嫁した事になる。
これは自分が批判される立場になった際、他責思考で言い逃れしやすい傾向を持っている事を示唆している。

主義主張を披瀝するのは誰でも出来る世の中ではあるが、その発言に説得力を持たせたいと願うならば、論理的整合性の取れた主張を心掛け、他責思考で逃げようとしたり、認知バイアスに取り込まれないよう思考する努力が必要だ。

まぁ、こんなところで私が言ったところで、当事者の目に留まり、その考えを変える可能性は無い訳だが。
たまたまここに来て、私の論評を読んだ人には、ここで批判されている人達のようにならないで欲しいと切に願う。

以下略ちゃんの真っ当な指摘

ラサール石井氏の炎上騒動関連のポストの中で、「おっ」と思った真っ当な指摘を紹介したい。

経緯としては、ラサール石井氏の炎上投稿に対し、無理筋擁護を行うある人物がいた。
多くの人から事実誤認を指摘され、批判されたラサール石井氏の状況について、彼は「リンチではないか」「リンチは誰に対しても行われるべきじゃない」と言いたいようだ。

その主張に対する以下略ちゃんの指摘。
リベラル界隈にとって、クリティカルで芯を食った意見だと思う。

実は年明け早々、ネットの誹謗中傷に対する規制強化の方針が打ち出され、法整備を検討しているとの報道がされた。
SNSの運営企業は、情報発信者としてではなく、情報が行き交う場を提供しているあくまでプラットフォームでしかない、との立場だ。
つまり、プラットフォームで書かれた個別情報に対して、責任を負う立場では無いと言う事。
名誉毀損、誹謗中傷などに対しては当事者間で決着するよう求め、問題解決の当事者として振る舞う事は基本的に無い。

新たな規制強化の話は、メタやXと言った外国企業のプラットフォーマーを含めて念頭に置き、一定の基準を用意し、問題発生に際しては速やかな問題解決の為に行動するよう求めるものだ。
私個人としては、目に余る誹謗中傷を止める為、政治の側が何らかの対応を迫られるのは自然の流れだと思う。

また、多くのリベラル系論者も基本的には誹謗中傷に対して強く憤り、誹謗中傷した者が強烈に罰せられる事自体は求める人が多数派だろう。
だが、その一方で、リベラル系論者は国家権力の伸長を忌み嫌う。
強くなった国家権力によって、我々一個人の自由、権利が侵害される事を強く恐れるからだ。

ラサール石井氏の今回の炎上騒動はデマ情報拡散によるものだが、自然災害の発災直後に面白半分の虚偽情報発信がネットを駆け巡り、ニュースで報道される事も度々起こる。
誹謗中傷への規制強化は、この手の被災者の不安を煽るような投稿への規制強化にも発展する可能性もあるのではないか。

今回の騒動に対し、真にリベラル的立場から国家の権力伸長を抑制したいと思う人ならば、ラサール石井氏への無理筋擁護などせず、
 「誤認は確かにあった。早急に訂正すべき」
と謝罪・訂正を促すべきだったのだ。
自浄作用を示す事こそが、「国家権力の介入など不要」との主張に説得力を付与するからだ。

虚偽情報の拡散は誰がやっても問題だ。
そんな当たり前のことを当たり前と言えない界隈が、真に個人の自由を志向するリベラルを標榜するのは、ちょっとどうにかした方が良いんじゃないかと思う。
リベラルの御旗を汚さない為、自省・自制する心は必要だ。
以下略ちゃんの諫言を真摯に受け止めた方が良い。

(余談になるが、放送倫理・番組向上機構(BPO)は、テレビ朝日に放送法違反の疑いが濃厚だった事件の後に、
 「国家権力による監視が無くとも、我々放送業界の自浄作用で放送法遵守は可能です」
とアピールする為、NHKや民放などが協力して作られた。
ただ、そのお題目の割に、BPO自体が政治的に偏向しており、BPO内部の人間の政治性向に合わない話題は検討もされない歪な状態になっている。)

まとめ

炎上騒動が起こると、どうしてもその炎上を起こした当人へのバッシングが中心となり、その人が何故その言動を行ったかへの関心も疎かに、その原因について語る言説としては
 「その人に常識が無いからだ」
 「その人の知性に問題があるんだ」
と言った形式になりがちだ。

これでは炎上した結果から遡って、
 「こんなおかしな事をやるんだから、我々にとって理解しようもない人間なのだ」
とのレッテルを貼ってるに過ぎない。
論じているようでいて、今見えた様子を語っているに過ぎない。

無論、私だって炎上系で活動している連中についてはまともに心理状況を読み解こうとする必要性も感じない。
だが、事、この手の政治的スタンスが大いに影響し、発生した炎上騒動に関しては、常識、知性の問題とするのは根本的な問題解決に繋がらない。

前段で述べたように、「認知バイアスの為せる業」だと見るべきじゃないかと私は考える。

ちなみに、ラサール石井氏のように、
 「能登地震での国の対応は遅い!
  被災者支援も全力を出してない!!
  全ては岸田総理のやる気の無さに問題がある!!!」
と言った「認知バイアス」
に侵されてしまった人向けに書いたnote記事を貼っておく。

同じような「認知バイアス」を抱いた防災の専門家のインタビュー記事への反論の形式で、岸田政権の能登地震対応を評価している。
参考になれば幸いです。

具体的に「認知バイアス」をどう抑制するべきか?

SNSを活用しながら、どうやって認知バイアスを抑制すべきか?
これは難しい問題だ。

個人的に心掛けている事を以下に示す。

  • 意見の方向性はほぼ同じだけでは選ばず、その中でも積極的にファクトチェックを行い、論拠を正しく示せるよう心掛ける人をフォローする

  • 論拠が示せない時には判断保留を躊躇いなく言えるような人をフォローする

日頃、SNSを覗いていて感じる事がある。
 「分からない事に直面した時に、事実『分からない』と表明できる人は、思いの外、少ない」
と言う事だ。
事実に対して真摯であらんとするならば、自然と辿り着く結論じゃないかと思うのだが、実践はなかなか難しいようだ。
匿名的なアカウントではこの傾向が特に顕著になる。

なので、常に真偽を疑い続けるのが大変だと感じる人は、正直そうな有名人アカウントを探した方が良いかも知れない。
私のような海の物とも山の物ともつかない匿名アカウントの発信内容は、特に疑う必要があるのだ。

うーん、ほんに面倒くさい世の中であることよ。

<了>

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