ざっくり 台湾現代史(その1)

麻生太郎氏が台湾訪問に際して発した
「戦う覚悟」
が話題となり、私も記事を一本書いた。

ただ、台湾関連の記事を書こうとすると、どうしても
「今現在の台湾の立ち位置」
を論じる必要が出て来る。

そして、「今の台湾」を語る為に、どのような過程を経て今の台湾になったのか、つまり「これまでの台湾」にも触れざるを得ない。
だが、日本においては近現代史教育が不十分な事もあり、台湾に関する基本情報を持っている日本人が極端に少ない。

そこで、今回は改めて台湾と言う”国”がどのように生まれたのか、どうして非国連加盟国となっているのか、などが理解出来るよう、ざっくりとして台湾現代史を書いて行こうと思う。

分かりやすさを優先したいので、荒いまとめになる事は了承して頂きたい。

第二次大戦終戦直後の台湾

日本領台湾の終焉と中国領台湾の始まり

第二次大戦終戦まで、台湾は日本領だった。
だが、日本は敗戦し、その時に本土と付属島嶼(とうしょ)部を除き、多くの領土を失った。
台湾はその時、「中国」領となった。
ただ、この「中国」は今の「中国」とは異なる。
中国国民党によって建国された「中華民国」、略して「中国」の一部となったのだ。

現・中華民国の始まり

※孫文の存在から始まる最初期の中華民国は体制的に安定せず、詳細を語るには複雑な人物相関の記述が必要となる為、割愛します。
人物名としては台湾で軍事独裁政権を始めた蒋介石に限る事で、中国国民党を中心とした歴史をまず理解してもらいたいと思っています。

中華大陸の最後の帝国となった清国が滅亡して以降、中華大陸はずっと混乱し続けていた。
中華大陸全体を統一的にまとめ上げる政治的求心力と実効支配を実現する軍事力とを兼ね備えた勢力が現れなかったのだ。各地は清の時代の軍事力を基にした軍閥が跋扈し、それらが打算的に離合集散する有様で、統一国家建国に至る道のりは見出せない状況だった。
その中で、一番統一国家に近い所にいたのが、近代的民主国家建国を旗印に活動する政治的・軍事的組織、中国国民党であった。
だが、地域の軍閥を圧倒するほどの力は無く、勝ったり負けたり、一進一退を繰り返していた。

そこにもう一つ組織が参戦する。
ソビエト連邦の強い影響下で生まれた中国共産党だ。

「国共内戦」と「国共合作」

思想的には中国国民党と中国共産党は全く相容れないし、それ故に強烈な軍事的対立も発生した。
だが、地域軍閥打倒の目的の為に手段を選んでいられない中国国民党は、軍事力目当てにソ連に接近する。
ソ連からその条件として提示された中国共産党との共闘路線を飲む。
これを「(第一次)国共合作」と呼ぶ。

最初の国共合作は程無くして破綻したが、その後に日本軍が満州地域に進出し、大陸への影響力を拡大し始める。
中国国民党は日本の拡張路線を妨害すべく、非軍人への残酷行為を起こしては、それに対する報復を行う日本軍と対決するも、悉く惨敗する。
中国共産党は輪をかけて酷い有様で、日本軍とも国民党軍ともかち合わないよう山奥を彷徨いつつ、活動の為の物資を住民たちから掠奪していた。
理念は唱えるものの、実態としては野盗同然だった。
国民党軍としては、地域の治安維持の為にも中国共産党を駆逐する必要があり、国共内戦は激化する一方だった。

だが、国共内戦でどれだけ戦ったところで、自分達より遥かに強い日本の軍隊は居座り続ける。
自分達の統治領域を増やすには、兎にも角にも日本軍との戦いに勝たない事には始まらない。
中華大陸に統一国家を建てる事こそが国民党の結党理念なのだ。
また、日本が旧・清領を権益化する様子を一番近くで見ているソ連にも領土欲が湧いてしまえば今以上の混乱に陥る。
そこで中国国民党ソ連との間で「中ソ不可侵条約」を結び、更に共産党の合法化を容認する事で、再度、中国共産党と手を組む事を決める。
こちらは「第二次国共合作」だ。

【余談】共産党が既存勢力と対立しやすい理由

自国の安定的統治を目指す組織が、自国内の共産党へ強い弾圧を加える事はまま起こる事だ。
この動きが何故起こるのか?は、共産党の政治目標を理解すれば自ずと見えて来る。

ソ連成立以降ソ連共産党の資金提供・思想的影響力を受け、世界中で共産党が作られた。
共産党の究極目標とは、全世界同時革命であり、その時点に存在する全ての国家体制を打ち破る事を目指すものだ。

逆から見れば、現在国家を統治している体制にとっては、「力づくでも自分達を追い落としたいと志向する組織」と言う事になる。
それ故に、共産党への非合法認定は第二次大戦以前も以降も各地で時折行われている。
戦前・戦中の日本もそうだった。

一方で、共産党の存在が合法へと法改正される事も度々起こる。
これは、共産党側が(少なくとも表立った)暴力革命志向を放棄し、単純な政治勢力と見做される場合だ。

特にアメリカの世界戦略は常に独善的であり、中南米をまるで自身の裏庭のように扱おうとする態度から、地域住民に反米的思想が根付きやすくなってしまい、国民の反米感情をバックにした共産党系ゲリラ組織を育て、政府軍と戦いが慢性的に起こる地域が続出した。
徹底抗戦が続いて消滅した組織もあれば、手打ちが行われて武力闘争を止め政党勢力に転換した組織もあった。
Tシャツのプリント等でその顔立ちと名前だけは現代日本でもよく知られているチェ・ゲバラも反米革命家の一人。

※アメリカの世界戦略を強烈に批判していますが、私は反米主義の立場は取りません。また、日米同盟堅持を望んでいますし、それが世界秩序の安定に資するものと考えます。
それはそれとして、アメリカの世界戦略を客観的に見た場合、否定的評価を下さなければならない部分が大量に本当に大量にあるのも事実です。
中東の混乱はイギリスとアメリカの致命的な戦略失敗に根源があり、自分がもし中東で生まれていた場合を想像すると、アメリカを嫌いにならないでいられるか、自信が無いです。それくらい酷い。

第二次大戦終戦から再開される国共内戦

形式的には国民党と共産党との間で取り決め、合意が次々になされていったが、互いにそれは日本への抵抗活動、つまり抗日運動での勝利の為にやむを得ず飲んだ次善の策だった。
そして、実際に終戦が訪れ、日本と言う脅威が消え去った後、国共合作の役割も終わった。
つまり、新たな国共内戦が始まったのだ。
終戦時は、中国国民党が武装の面でも優勢であった。

<その2へ続く>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?