見出し画像

リスナーインタビュー【92】男性/30代前半/テレビディレクターの場合

企画の詳細および質問内容はそれぞれのページを参照してください。
これまでのインタビューはこちらをご確認ください。

男性/30代前半/テレビディレクター
埼玉県在住
リスナー歴17年


■私のラジオ歴

耳に残る文化放送のジングル 自分から聴いたキッカケはYUI

 昔、父親が自宅でラジオを聴いていて、それを耳にしたのがラジオに関する最初の記憶です。何の番組かはわからないんですけど、なぜだか文化放送のジングルだけをやたら覚えているんです。「文化放送~文化放送~JOQR~♪」という。確か昼間だった気がするんですよね。「お父さん、文化放送が“ふんか”放送に聴こえるよ」「文化放送だよ」という話をしました(笑)。普段から聴いていたわけではなく、たまたまだったみたいで、それこそ親は「学生時代に聴いていたけどね……」ぐらいの感じだと思います。

 自分からラジオを聴き始めたのは中学2年生の時。TOKYO FMの『SCHOOL OF LOCK!』からです。シンガーソングライターのYUI(現yui)さんが好きで、好き過ぎて毎日インターネットで調べていたら、HPのメディア欄に「『SCHOOL OF LOCK!』内『YUI LOCKS!』」と書いてあったんです。アーティストってCDを出した時にしかテレビに出ないから、「毎週見たいんだよ!」と思ってたんですけど、ラジオ番組があると知り、聴き始めました。

 最初はYUIさんの喋りを聴けただけで満足していましたね。テレビに出演しても、そんなに長く喋ることってないじゃないですか。ラジオを聴いて、「よく喋る人なんだ。かわいいなあ」って。

 そこから『SCHOOL OF LOCK!』本編も聴くようになりました。当時はやましげ(山崎樹範)校長、やしろ(マンボウやしろ)教頭だった頃で、段々とハマっていきましたね。番組が始まる22時までには全てのことを終わらせて、テレビを見ずに、ラジオの前で待つような生活になりました。

 中学生らしい「ラジオを聴いている俺、カッコいい」みたいな考えもちょっとはありつつ、番組ではテレビに出ないようなロック寄りのアーティストをいっぱい紹介してくれたんです。今でこそBUMP OF CHICKENもテレビに出ますけど、当時は違いましたから、「テレビに出ない音楽を俺は聴いているんだぜ」という優越感がありました。あと、いじめ問題とか真面目な話もするんですけど、なのにバカみたいな企画をやる時もあって、その振り幅が面白いなと感じました。

 ただ、周りにリスナーは全然いませんでしたね。まだ「ラジオってオジサンが聴くものでしょ?」なんて言われていたので、周りはそういうイメージがあったんだと思います。一度だけ友達に勧めた経験はありますけど、「俺のものじゃなくなっちゃったな」という感覚になりました。

『ROCKETMAN SHOW』に出会っていきなりラジオ出演

 他の番組にはほとんど触れてなかったんですけど、1年後ぐらいにふかわりょうさんの『ROCKETMAN SHOW』(J-WAVE)を聴き始めて。朝日新聞を読んでいたら、ふかわさんが番組本について取材を受けていて、そこで存在を知りました。

 土曜日の深夜1時から5時まで生放送していたんですけど、「4時に起こして」というリスナーにモーニングコールをするコーナーがあったんです。初めて聴いた時に出演していたリスナーが「今日誕生日なんです」と言っていたので、「あっ! 俺、来週誕生日だから、電話いけるんじゃないか?」と思ってメールしたら、本当に電話がかかってきて。ふかわさんから「なんで聴いてくれたの?」と質問されたので、「朝日新聞を見まして……」と緊張しながら話したのを覚えています。そこからハマっちゃいましたね。

 当時は基本的に『SCHOOL OF LOCK!』と『ROCKETMAN SHOW』の2番組をメチャクチャ聴く感じでした。段々とラジオ好きになっていき、反対にテレビを見下すようになっていましたね。「テレビを見るヤツはダサい」って(笑)。

 そんなことを考えていましたけど、中高生時代はもちろんクラスで目立たないほうでした。目立つわけがないですよ。身長はクラスで一番大きいけれど、運動能力は皆無でしたし。部活はボード部に入っていましたけど、運動部と言っても名ばかりというか。

 こういう性格や立ち位置がラジオに合っていたんだと思います。絵に描いたようなラジオリスナーでした。友達に「ドラマの『有閑倶楽部』が超面白いから、見てくれない?」と言われて、「見る」って返事したんですけど、翌日に「昨日見た?」と確認されたら、「あ、ごめん。ラジオ聴いてた」って。それが毎週続くものだから、「お前、いつ見るの!?」ってちょっとキレられましたよ。

初めての採用は『SCHOOL OF LOCK!』のフツオタ

 初めて投稿したのは『SCHOOL OF LOCK!』のフツオタ。掲示板に書き込むシステムなので、本当に何気なく書いたら採用されました。その週に、友達と学校の廊下でふざけていたら、スベって転んで大笑いされたんですけど、プライドが高いから、心配されても「いや、全然何でもないよ。転ぶなんて普通じゃん?」みたいに誤魔化したんですよ。「本当はそういう時にどうすればよかったんですか?」と書いてみたら読まれて。お二人には「なんだ、こいつ?」みたいに笑ってもらった上で「素直に恥ずかしがればいいんじゃないの」と言ってもらいました。

 その時はラジオから離れたところで寝ていたんですけど、読まれた瞬間、ゴロゴロゴロゴロっと寝たまま回転して、ラジカセを押さえて、「ああ、どうしよう?」と震えが止まらなかったです。翌日、友達に自慢した記憶がありますけど、価値がわかってもらえなかったんですよ。「お前、凄いことなんだよ」って必死に説明した気がします。

 高校受験の勉強が始まった頃に、また新聞を読んでいたら、ラテ欄が目に入って。「爆笑問題がやっているんだ」「おぎやはぎの番組もあるのか」と気づいて、TBSラジオの『JUNK』も聴くようになりました。

 聴いてみてビックリしたのが、いろいろな芸人さんが「この間、オ○ニーした時にさ……」と普通に話していたこと。「えっ、芸能人がそんなこと言っていいの?」と思って。身内で話すならわかるんですけど、ラジオで言うなんて。この人たちもこんな話をするんだという驚きもありましたし、テレビで見せない部分を出しているんだなと感じました。

 ふかわさんが凄いと思った時も似た感覚です。ラジオだといじられキャラじゃなくて、頼りになるお兄さんだったですよね。うちはニッポン放送が全然入らないので、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)は通らずに、『JUNK』の、特に『おぎやはぎのメガネびいき』にハマって、もともと聴いていた2番組と合わせて三すくみ状態になりました。

『ROCKETMAN SHOW』のイベントに出演して大スベリ……

 高校時代もそれまでと同じようなリスナーライフを送っていましたが、やましげ校長が辞めたタイミングで『SCHOOL OF LOCK!』からは離れました。その後も『ROCKETMAN SHOW』を聴いていた気がします。

 北沢タウンホールや大井町きゅりあんで腑に落ちないことを発表する「フニオチコンテスト」という番組イベントがあったんですけど、それに応募して、実際に出て、腑に落ちないことを発表し、ゴリスベリしたこともありました(苦笑)。「学校の先生が『夏休みに何をしたかみんな一言ずつ喋っていけ』と言い出して、俺の番が来たから喋ったのに、俺のトーク中に遅刻してきたヤツが入ってきたから、先生がずっとそっちのほうを見て、全然話を聞いてくれなかったんですよね」という話をしたんです。

 反応がよくなかったから、「あれ? なんで今日はウケないんっすか。全員俺のファンじゃないんですか?」と言ったらドンズベリしちゃって……。メチャクチャ緊張しながらも頑張ったのに、審査員のはしのえみさんもドン引きしてました。「『ポンキッキーズ』見てましたよ!」なんて言っちゃいましたし……。

 ラジオにハマったら聴く番組が増えていきそうなものなんですけど、僕の場合はあまり広がらなかったですね。まだそこまでインターネットを使ってなかったので、情報が少なかったのかもしれません。高校生、大学生と進学するにつれて、聴く番組は増えていきました。

 大学は通学に片道2時間かかる場所にあったので、その時間を使ってよくラジオを聴いていました。親友となる男がエンタメに詳しくて、ラジオの話をするようになったのも大きいかもしれません。『ROCKETMAN SHOW』は2014年に終わってしまったんですけど、『山里亮太の不毛な議論』(TBSラジオ)や『オードリーのオールナイトニッポン』あたりを聴くようになりました。

ラジオネームを決めた理由・変えた理由

 その間も投稿はずっとしていました。最初に『SCHOOL OF LOCK!』で読まれた時の雷に打たれたような感覚がずっと残っていて。僕は「THE BLUE HEARTSを初めて聴いた時と一緒だ」ってよく言っているんです。ドラマの『人にやさしく』の中で『夢』という曲を聴いた時、小学生ながら「なんだこのカッコいい曲!」って思ったんです。その時の“ビクン!”という感覚に似ていて。それがやみつきになって、いろいろなところに送るようになりました。熱心に聴いていた『ROCKETMAN SHOW』にも頻繁に投稿してましたね。

 最初のラジオネームは「爪かみゴリラ」でした。もともと毛深くて、中学生の頃に爪を噛む癖があったから、それでいいやと。『ROCKETMAN SHOW』が終わる頃まではずっと使っていたんですけど、ラジオネームに「ゴリラ」が付くリスナーさんが増えてきたんで、それでやめたほうがいいのかなと思って変えました。

 今の「パラダイス楽園」にしたのは大学生の頃です。ある日、友達に「今日、絶対に生メールが読まれるから、ラジオを聴いとけ」とアピールしたことがあって。「ラジオネーム何にするの?」と聞かれて、ふと思いついたんです。

 ちょうど前日に見た『アメトーーク!』にウーマンラッシュアワーの中川パラダイスさんが出演していたんですが、“パラダイスロック”というゲームみたいなことをやっていたんです。中川さんが相手の腕を固めて、「ここから逃げてください。30秒で逃げられなかったら、どうなっても知りませんよ」と。それで逃げられなかったら、相手の腕をベロンベロンに舐めるという(笑)。それを見て、死ぬほど笑ったんですよ。

 その記憶が強烈に残っていたから、ラジオネームに「パラダイス」を付けようと。そこにパラダイスと同じ意味の「楽園」を付けて、「パラダイス楽園」にしました。僕はいつも“寺門ジモン”と同じだって言っています。“頭痛が痛い”と同じですよね。

ラジオ業界を志すも流れ流れてテレビ業界へ

 当時、将来はラジオ関係の仕事に就きたいという気持ちもあって、放送系の大学に進学しました。ただ、ラジオサークルを覗きに行ったら、「こいつ、絶対いけ好かないな」という先輩がいたから、入るのをやめて(笑)。「ラジオっていうのはさ、人が1人いれば足りちゃうんだよね!」って熱弁していたので、「嫌だなあ。聴くほうに専念しよう」と思いました。

 それでも就活では“記念受験”でJ-WAVEを受けたんですけどダメでしたね。今ならミックスゾーン(『オールナイトニッポン』などを手掛けるニッポン放送系の制作会社)と言われたらわかるんですけど、当時はまったく制作会社の名前は知らなかったんで。あと、TOKYO FMを受けて、いざ落ちたら聴けなくなるなあなんて考えていました。好きゆえに近寄れなくて、J-WAVEを記念受験しただけでしたね。

 それで、何を仕事にしようかなといろんな業種を受けて、結果的になんとなくテレビ業界に入りました。テレビ業界に入ったら、ラジオを聴かなくなる人もいるかもしれませんが、僕は変わらなかったですね。周りにも「お前、ラジオ好きなのか。オードリー聴いてる?」とか、「ナイナイは聴いてないのか?」とか、言ってくるディレクターがいましたよ。

 この間、同期に言われたんですけど、「1年目の時、ディレクターさんに『お前、テレビやりたくてこの業界に来たんだろ。何してんだ!?』って怒られたのに、『いや、俺がやりたいのはラジオです』って言ってたよね。お前は叱り甲斐がない人だよ」って。その時はさすがに相手のディレクターも口をポカーンと開けていましたね。「じゃあ、なんで来たの?」と。いまだにラジオを作りたい、ラジオに関わりたいという気持ちはあります。

 ハガキ職人の経験はテレビ業界で働く上でメチャクチャ役に立ちました。企画を考えるのは得意ですから、平気で30個とか提出していますし、そこを褒められたこともあります。まあ、ディレクターとしてはオールラウンダーではなく、企画力の一点突破型で、とても歪なレーダーチャートをしていると思いますね。企画力と、技術さんにこびへつらう能力しかないんで(苦笑)。その2点だけでここまでやってきました。新人さん相手に企画書の書き方を教えることもありますよ。

 テレビ界にはラジオリスナーって意外と多いんです。ラジオの話を耳にする機会は結構ありますよ。若い人たちはみんな堂々とラジオを聴いてきたみたいで、それはいいなあって。僕の世代は隠れて聴いていたわけですから。

現在も投稿は継続 現場でパーソナリティと遭遇することも

 今、聴いているのは10番組。これまで名前を出した『不毛な議論』、『メガネびいき』、『オードリーのオールナイトニッポン』のほかに、今はFMヨコハマでやっている『ロケットマンショー』、さらに『#むかいの喋り方』(CBCラジオ)、『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)、『桂宮治「これが宮治でございます」』(TBSラジオ)、南沢奈央さんの『nippn ¡ hon-yomokka!』(TOKYO FM)、『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本)、あとは『#みちょパラ』(ニッポン放送)ですね。お笑い系だけじゃなくて、雑多にいろいろと聴いています。パーソナリティと一緒に仕事をしたのがキッカケで聴き始めることもありますし、単純に趣味から入った番組もあります。

 投稿数は今が一番多いかもしれません。単純に聴いている番組数が増えたのもありますけど、週に100通はいかないぐらい。一番多く送っているのは『不毛な議論』でしょうか。テレビの仕事をしていると言っても、移動時間で書けますし、生活サイクル的に深夜まで起きているので、生メールも送れます。お風呂場にもスマホを持ち込むタイプなので、そこでも送れますし、仕事ですることが何にもない時間帯もありますから、意外と時間はあるんですよ。会社の人にも投稿しているのは知られていて、「この前、オードリーで読まれてたね」なんて言われることもあります。

 さすがにテレビ界に他にハガキ職人はいないんじゃないですかね。いまだに会ったことはありません。放送作家さんには投稿していることをあまり言わないようにしています。信頼できる人にだけ「今週読まれたんだ。聴いてくれ」なんて話しますけど。

 自分の聴いている番組のパーソナリティと仕事をした経験はほとんどないんですけど、今年、偶然現場である方とお会いして。過去にイベントに参加して会話をしたことがあった方で、たまたまその空間に僕とその人しかいなかったから、「おはようごさいます」と思わずあいさつしてしまいました。向こうも最初は誰だかわからなかったみたいですけど、ラジオネームを名乗ったら、「なんでいるの?」と驚かれましたね。そのあと、上司にムチャクチャ怒られましたけど(苦笑)。ずっと番組を聴いていたので、ふかわさんとはいつか仕事をしたいですね。「あの時、聴いていた中学生がなんとかディレクターになりました」って伝えたいです。

 テレビの仕事とハガキ職人を両立していますが、叱ってきた先輩のように「そんなことするな」という考え方も、「やってもいいけど、それを表に出すな」という考え方もあると思うんです。僕の立場って正直危ういんですけど、それでも送ってしまうのは……やっぱり読まれたいんです。僕が実績を残して、偉いプロデューサーになったら、全部いいほうに受け止めてもらえるんでしょうけどね。テレビの仕事も本当に大変で、限界を感じることも多いですけど。

■自分が思うラジオの魅力

パーソナリティの知らない一面に触れられる

 「芸人さんがラジオでオ○ニーの話をしていた」ということに通ずるんですけど、パーソナリティの知らない一面に触れられる点が一番ですね。最初に受けた衝撃もそこでした。

 もう1つは「芸能人にメールを読んでもらったぜ」と自己顕示欲が、まあ本当に満たされるんです。それも大きいですね。さすがに最初の頃に比べたら、今は落ち着きましたけど、それでもいまだに「おっ、読まれた!」という喜びがあります。

 ずっと投稿をし続けている理由は……まだ「俺凄えだろ?」って言いたいんでしょうね(笑)。全然飽きないです。学生時代は送ったメールが読まれないと「なんだよ、コノヤロー」なんて思う時もありましたけど、ある時、そう考えるのは止めようと思って。「宝くじと同じシステムなんだ」と思うようにしたら、比較的楽になりました。今の感覚だと、投稿は“趣味”ですね。究極の自己満足ですよ。それでいいと思います。

 中学生の時に強く感じていたのは「テレビなんかよりラジオのほうが面白えから。お前ら知らないだろ?」という優越感。閉じた空間だからこその内輪ノリってあるじゃないですか。「クワマン(桑野信義)のセカンドバック」という単語がやたら出てきたり、「岡本信人の野草が……」なんて話が出たり。それで、何の話をしているのかと調べてみたら、「ああ、そういうことか」とわかるという。「萬田久子の帽子」とか、「Superflyが頭に巻いてるヤツ」とかもそうです。それを自分が知っているという優越感もラジオに惹かれた点の1つですね。

■一番好きな(好きだった)番組

番組本を2冊買った『SCHOOL OF LOCK!』

 1つ挙げるとしたら『SCHOOL OF LOCK!』になりますかね。当時、番組本も買っていたんですけど、今日のために探したら、同じ本を2冊持っていたんですよ。付録のステッカーを1個使っちゃったから、それでもう1冊買っていたみたいなんです。今になってビックリしたんですけど、そのぐらい好きだったんだと思います。

 本の中でASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤(正文)さんがいいことを言っているんですよ。「俺らは別に何も偉そうなことなんて言えないけど、月9のドラマとか見ないで、ラジオを聴いているような君らみたいなヤツが好き」って。これを見て、「俺はこれでいいんだ」って思ったのを覚えていますね。いつかやましげ校長、やしろ教頭ともお会いしたいです。

■ラジオで人生が変わった(心が震えた)瞬間

初めて投稿が読まれて、驚きと喜びを感じた時

 ラジオで初めて投稿が読まれて、「えっ!」って驚きながらゴロゴロと転がって、ラジカセを掴んだ時ですかね。その時の嬉しさがキッカケになって、今の仕事にも繋がっているので、そこで人生が変わったのかなと思います。採用されていなかったら、テレビの世界にも関わっていなかったかもしれないですね。その時の興奮がいまだに残っているから、メールを送り続けているわけですし。

 心が震えた瞬間は……特にないかもしれません(笑)。投稿していると、どうしてもコーナーやテーマメール寄りになってくるんですよね。何なら「早くメールテーマを発表してくれよ」と思う時もあります。自分で犬みたいだなと感じる時があって。犬が「散歩」と言われたら喜ぶみたいに、僕は「メールテーマ」と言われたら、大喜びするんですよ。

 くだらなくて大笑いしたという意味だと、『メガネびいき』にフジモン(藤本敏史)さんがゲストに来た時(2015年2月19日放送)。本編に収まらなくて、ポッドキャストで配信された話なんですけど、小木(博明)さんが手作りチョコを持って来て、フジモンさんに食べさせたんですが、その中にちん毛が入っていたんです。「ちん毛入ってるやん。勘弁してくれよ」って。その時は死ぬほど笑いましたね。『メガネびいき』は笑いすぎて息ができない瞬間を何回も味わっています。

■自分がパーソナリティになったら、番組のテーマ曲は何を使う?

オープニングは『Bad City』、エンディングはももクロの『L.O.V.E』

 これは悩みました。プロレスも好きなんで、最初はウィル・オスプレイの入場テーマとか、あとは映画『新根室プロレス物語』のエンディングテーマ『プロレスが大好きだ』(J-REXXX)とかもいいなと思ったんですけど、いろいろ考えた結果、オープニングはドラマ『探偵物語』のオープニング曲『Bad City』(SHŌGUN)がいいなと。冒頭のピアノのところは無視して、いきなり始まる感じがいいです。

 エンディングはももいろクローバーZの『L.O.V.E』にしようかなと。去年、仕事が辛すぎて、朝に電車に乗っていて、会社のある駅に着いた瞬間、この曲が流れてきて、気づいたら、ボロボロボロボロって泣いてしまったことがあって……。自律神経が乱れるとすぐ泣いちゃうんですよね。多幸感に溢れた曲なんです。毎年恒例のクリスマスライブの時にテーマソングとして発表された曲で、そのライブにも行っていたから、いろいろ思い出してしまって。それをエンディングにしたいですね。


 本当は銀杏BOYZとフジファブリックが好きなんですけど、『オールナイトニッポン』は電波の問題で聴けなかったから、『夢で逢えたら』にくりぃむしちゅーのイメージはないんです。話を聞いて、むしろそうなんだって驚きました。フジファブリックの『若者のすべて』も流したいけど、ちょっと違うかなって。

※参照/ウィル・オスプレイ入場曲PV

※参照/『プロレスが大好きだ』(J-REXXX)

■私にとってラジオとは○○である

私にとってラジオとは「魅力的な異性」である

 今の時代にこう言っていいのかわからないですけど、「凄く魅力的な異性」だと思っています。毎週会いに行って、お便りが読まれたら一喜一憂して。全然振り向いてくれないこともあるけど、それも含めて魅力的な異性だなと。リスナーって本当にすぐ会いに行っちゃうじゃないですか。「2時間コースで」なんて言って(笑)。

 今後のラジオ界に希望することは、全番組にノベルティとしてステッカーを作ってもらいたいです。投稿が採用されても読まれただけ、という番組もありますけど、ステッカーに限らず、やっぱり何か欲しいなって思ってしまって。ラジオを聴かない人に「読まれたら何かあるんですか?」と質問されて、「確かにステッカーをもらえないこともあるよな」と思ったんですよね。

 自分の希望としては、一度でいいから番組作りに携わってみたいです。1回、とあるパーソナリティーのクラウドファンディングに参加して、番組のゲスト出演を疑似体験したことがあるんです。だから、出るは出たんで、今度は作りたいなって。地元のコミュニティFMとかでもいいので、やってみたいです。
(取材/構成:村上謙三久)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?