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リスナーインタビュー【90】男性/30代前半/無職の場合

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男性/30代前半/無職
埼玉県在住
リスナー歴20年


■私のラジオ歴

放送部の先輩の影響で『オールナイトニッポン』に触れる

 『いつものラジオ』(本の雑誌社)を読ませていただいたんですが、ラジオとの出会いって子供の頃に親が運転する車の中で流れていた……というのが定番じゃないですか。僕もたぶんそうなんですけど、思い出そうとしてもそれが記憶に残ってなくて。家にラジカセはあったんですが、誰かが使っていたイメージもありません。中学校に入ってから、NHKラジオの英会話 を先生に勧められたので、それをなんとなく聴いていました。

 自分から聴き始めたのは中学2年生の時です。僕は中学で放送部に所属していたんですが、文化祭で演し物を出さなきゃいけなくて。そうしたら、深夜ラジオの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)にハマっていた先輩が「ラジオをやりたい」と言い出したんですよ。それがきっかけで僕も深夜ラジオの存在が気になり、勉強がてら聴き始めたのが出会いです。

 僕はその先輩から影響を受けることが多くて。その人はわりと「これが面白い、あれが面白い」と興味の対象がコロコロ変わるタイプだったんですね。たぶん「『ナインティナインのオールナイトニッポン』がとにかく面白い」と言っていた記憶があります。『オールナイトニッポン』という存在自体は前から知っていました。

 放送部を選んだことにラジオは特に関係していません。消去法で選んだんです。自分に体力がないのはわかっていたので、最初から文化部にしようと考えていて、部活見学でいろいろと見て回ったんですが、文化部はオタク系が多くて、言い方悪いですけど、「なんか気持ち悪いな」と(苦笑)。規模としては吹奏楽部が大きかったんですけど、ここも「人間関係的にベタベタして気持ち悪いな」と感じて、一番良さげな放送部に入部しました。

 ただ、部員が全然いませんでした。僕が通っていたのは中高一貫校だったんですが、中学の部員は3人ぐらい。『オールナイトニッポン』のことを教えてくれた先輩は年上の高校1年生でした。その人数ながら、行事の音響や生徒の呼び出しなんかもやっていましたね。部の中にはアナウンス班と技術班があって、僕は技術班にいた高校生の先輩に可愛がられていたんです。ちょっと悪いことも教えてもらって。同い年の中学生が知らないようなオタクっぽい知識も教えてもらっていました(笑)。

奈良県から『JUNK』を遠距離聴取

 『オールナイトニッポン』といっても、どのパーソナリティにハマるかはわからないので、とにかく一通り聴いてみました。当時は西川貴教さんや土屋礼央さん、ビビる大木さんが担当していた記憶があります。ただ、最初は全然面白いと思わなくて。前の週の話題を知っている前提で話してくるし、当時はミュージシャンに詳しくなくて、「有名人の体で喋っているけど、誰この人?」と思ったり……。

 ただ、何週か聴いていくうちに、何の話をしているか理解できるようになり、ラジオ番組の構成自体もわかってくるじゃないですか。フリートークがあって、ネタコーナーがあって……という形を段々理解してきて、いつの間にかまんまとハマっていきました。「なんて楽しい時間なんだろう」と。

 当時から僕はひねくれていて、「中心にいたくない」という気持ちが強く、皮肉屋みたいな部分がありました。物凄い中二病で、ある意味、典型的なラジオリスナーらしいタイプだったと思います。大人でも子供でもない自分の年代にハマるコンテンツを求めていて、でも、今も昔も僕は王道のものが好きじゃなくて。『少年ジャンプ』も読んでいなくて、逆にレトロなものが好きでした。ちょっと対象年齢が上のものに憧れがあって。そういう感覚とピッタリ来るのがラジオだったんです。

 深夜ラジオには伝統があるし、ちょっとアナクロニックな感じもするじゃないですか。当時はインターネットが出始めていて、ネットのほうが新しいという感じがあったけど、「自分は逆張りでラジオを聴くぜ」みたいな気持ちもありました。

 『オールナイトニッポン』からラジオを知りましたけど、最初にハマったのは、くりぃむしちゅーの上田(晋也)さんがやっていた『知ってる?24時。』(ニッポン放送)です。時間帯的にも毎回聴けましたし、ラジオを聴き始めた当初は一番好きでした。

 奈良県に住んでいて、うちの裏がビルだったので電波が入りにくかったんですけど、頑張れば東京のTBSラジオの電波を拾うこともできたんです。ちょっとだけ聴ける時間帯というのがあって。天気のコンディションによっても聴けるかどうかが決まっていたんですけど、雨の日はダメでした。そういうのも面白かったですね。その流れで『JUNK』という番組がやっているらしいという情報を知って。当時からお笑いは好きだったんですけど、『オールナイトニッポン』では芸人の番組が少ない時期だったので、『JUNK』を必死に聴いていました。

ラジオ友達が同級生の前でラジオの話をしたがらないワケ

 その頃には深夜に起きている癖がついていました。学校から帰ってくると、すぐに寝落ちしてしまうことが多くて、そうなると夜に寝られなくなるんです。それで深夜に起きているんですけど、やることもないし、暇で暇で、ラジオを聴くぐらいしかなくて。余計にラジオにハマりましたね。

 学校でラジオを聴いている人がいないか探してみたら、「実は……」と1、2人ぐらい出てきて、ラジオの話を共有する友達ができました。でも、クラスの中心メンバーや他の生徒がいる前で話すのには罪悪感があったのか乗ってこないんです。そういう時に話を振っても「俺はそんなの聴いてないよ」みたいな顔をされたんですよね。周りに誰もいないと乗ってくるんですけど。

 その頃は“ラジオ”が“オタク”と結びついていたのかもしれませんね。当時はオタクに対する偏見もありましたから、周りに知られたくなかったのかもしれません。クラスにもオタクが何人かいて、僕は文化系なんで、そっちのグループと仲がいいんですけど、オタクだと周りにバレると、イジメの対象になるというか。

 さっき「オタクは気持ち悪い」なんて言ってしまいましたけど、僕の中で自分はオタクと一線を引いているつもりになっていて、でも自然とそういうタイプの友達が多くなっていきました。バスケが上手いヤツとかとは根本的に合わないんで。それなのに、「自分はオタクじゃないから、いじめられる筋合いはない」なんて歪んだ自意識も持っていました。

 ラジオに投稿しようという発想はまったくなかったです。何も思いつかなかったですし、放送局のある東京とは離れているんで、自分と違う世界のものだと思っていました。携帯も当時は持っていないからメールもできなかったですし、ハガキを買うのはハードルが高かったんで。

 『知ってる?24時。』が終了し、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』が始まると、僕もそちらを聴くようになったのですが、同時に葛藤も生まれました。『JUNK』の中では『爆笑問題カーボーイ』が好きだったので、同じ時間帯にやっている『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』とどっちを聴こうかと。『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』は放送しない週も多かったし、電波の問題もありましたから、結局どっちも継続的に聴いていたんですけど。

 ただ、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』が終わった頃から徐々にラジオを聴かなくなりました。自分に合う番組が少なくなっていたこともありますし、自分の感覚や感性も変わっていったところがあって。大学受験の時期で他のことが忙しくなったのも大きいです。

 大学進学を機に上京してからは生活リズムが変わって、まったくと言っていいほどラジオに触れなくなりました。相棒だったラジカセを実家に置いてきたから、ポケットラジオを買ってみたりもしたんですけど、ハマる番組もなくて。その頃にはパソコンを自由に使えるようになり、インターネットで動画を見て時間を潰すようになったのも大きいですね。

コロナ禍で10年ぶりにラジオを聴いてみると……

 ラジオをまったく聴かない状態はその後も続きました。大学卒業後はシステムエンジニアになったんですが、就職したあともラジオには触れず、コロナ禍になるまではずっとそんな感じでしたね。

 コロナ禍の時に改めて聴いたのは「ラジオブームが来ている」という声が耳に入ったからです。周りにいるサブカル好きがラジオの話題で盛り上がっていたのもあって、「10年ぐらい聴いてなかったけど、今はどういうノリになっているんだろう?」と気になりだし、久しぶりに『JUNK』を聴いてみたんです。

 ただ、あくまで僕が感じた印象なんですが、昔聴いていた頃と変わってないなあと。「伊集院光ってまだラジオの帝王って言われているんだ」って驚きましたが、良くも悪くも変化を感じなくて。そこがラジオのいいところではあるんですけど、僕個人としては逆に「ついていけない」と感じました。あんまり楽しめなかったんですよね。以前はなかったradikoのタイムフリー機能を使って聴いたんですけど、昼間にシモネタをメッチャ言っている深夜番組を耳にしたら違和感もあって。

 中高生の頃の感覚でラジオにハマった分、大人になって自分が変わってしまったことを余計に感じて。今ラジオにとらわれたら、“青春の部屋に閉じ込められてしまう”ように思えたんです。「ここでラジオにハマってはいけない」という感覚がありました。

 そんな風に感じたのは、大人になって俯瞰で見る癖が身についちゃったのが原因かもしれません。お笑いを見ていても、大人になると、「ここで落としに来てるんだな」ってなんとなくわかるようになるじゃないですか。あと、ラジオに限らずですけど、いろんな文化に触れたいという気持ちもあるし、ある程度距離を保ちたいというところもあるから、前のめりになりきれないというか。

 学生だった当時の思い出を美化しすぎている面もあるかもしれません。中高生時代に深夜ラジオを聴いて、笑って死ぬんじゃないかと思ったことが何度もありました。例えば、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』で言うと、「マエケンのア○ルか!」(※番組内で流行ったツッコミ)が当時好きで、ずっと自分でも言ってたんです(笑)。その時に味わったMAXが高すぎて、今もラジオは面白いけど、「あれ? 自分って死ぬほど笑わないな」と落差を感じてしまったんです。

「ハガキ職人と笑い」をテーマに同人誌を制作

 そんな感覚が残る中で、自分が作っている同人誌で「ハガキ職人」を特集のテーマに選びました。『BANDIT』という名前で、2022年から年に1冊ペースで作っているんですけど、vol.1は「RTA Now!」、vol.2は「自己啓発大解剖」がテーマで、今年5月に発行したvol.3は「ハガキ職人と笑い」と題して特集を組んだんです。毎回、テーマに悩んでいて、シンプルに「ラジオ」にする案もあったんですが、お笑い好きでもあるので、「お笑い」と「ラジオ」のかけ算で、「ハガキ職人」というテーマが出てきました。それで、ラジオに限らず雑誌などに投稿をしているハガキ職人たちも含めて取材したんです。

 お笑いは学生時代から好きでした。自分の中では爆笑問題とくりぃむしちゅーを神聖視しています。この2組を好きになったのはラジオの影響が強いですね。ただ、中高生の時はテレビの深夜番組もたくさん見ていて、「自分はお笑いが好きだった」という記憶はあるんですけど、その後はしばらくテレビが家にない時期も長期間あって。だから、好きな気持ちは残っているんですけど、細かい情報はあまり知らないんです。第七世代とかの情報もあとから知ったくらいですね。

 「ハガキ職人」というテーマで同人誌を作ってみて、イメージしていた通りの部分もあったんですけど、SNSとの関係性だったり、タイムフリーの影響だったり、若い職人の感覚の変化だったり、いろいろと変化を感じる部分もありました。自分の中には暗い部屋の片隅でラジオを聴いていた記憶があるので、そういうイメージでしたし、周りにもそういう人が多かったんですけど、取材してみたら、明るい陽キャも集っているんだなって。今はサブカルの中の1つのジャンルに変わったんだなって感覚は持ちましたね。

 逆張りなんですけど、僕ってみんなのものになっちゃうと好きになれなくなるんです。応援していたバンドがメジャーになると応援しなくなるみたいな感覚と一緒で。ラジオが好きという人と大人になってから出会うようになって、「じゃあ、もっと自分はマイナーなほうに行こう」って動いてきたところもあるのかなと。

 だから、僕はラジオリスナー気質だし、実際にリスナーだった時期もありますし、その後も近いところにいるんですけど、ラジオの魅力の芯を食わないままここまで来た気がします。ただ、そういう風にどんどん興味が移りがちなのが今の同人誌作りに役立っているところはありますね。

■自分が思うラジオの魅力

「わかるようでわからない話」をしてくれる

 「わかるようでわからないような話」といいますか……。ラジオって知らない話をしてくれるんですよね。テレビだとわかりやすく伝えてくれる。映像もあるし、視聴者も多いから、わかりやすいんですけど、ラジオはもうちょっと狭い感じがするんです。耳だけで聴く分、「何の話をしているのかな?」なんて考えながらじっくりと聴く話が多くて。でも、それがのちのちになって「あの話をしていたんだ!」とワードの意味がわかったり、その話の面白さにあとから気づくのが面白いなって思うんです。

 あと、ご年配向けの番組もあるじゃないですか。コロナ禍の時期に、爆笑問題の影響で、高田文夫先生の『ビバリー昼ズ』(ニッポン放送)を聴いたことがあったんですけど、自分の知らない昔の芸能人の話が出てきて。テレビじゃ触れられない話題に出会えるのも面白いなと思います。

■一番好きな(好きだった)番組

『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』と『爆笑問題カーボーイ』

 『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』か、『爆笑問題カーボーイ』か、どっちを挙げるか迷いますね。

 人生に影響を与えたという意味では『カーボーイ』です。真面目なところがあったんで。『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』のほうはそういう要素がゼロなんですけど(笑)。でも、死ぬほど笑ったのは『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』だったなって感じですね。

 特に笑った記憶が残っているのは「ツッコミ道場!たとえてガッテン!」のコーナーです。毎週毎週ネタがナンセンスなほうにいって、ずっと「マエケンのア○ル」の話をしていて。それがすり替わっていく流れがメチャクチャ面白かったのを覚えています。

 『カーボーイ』では文学の話をしてくれる時があって、「自分の知らないこんな世界があるんだ」と感じたんですよね。太田(光)さんの語り口も熱を帯びてて、異様に引き込まれてて、「自分もそういうものと出会いたい」と思った記憶があります。

 今でも『カーボーイ』をたまに聴くと、面白いなあと思いますけど、なぜか長続きしないんですよね。それは単に他にもすることがいろいろあるだけで、嫌いになったわけじゃないんですけど。『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』は復活した時も聴かなくなってしまいました。内容的に当時を懐かしむ雰囲気があって、そこまで魅力を感じないんですよね。熱量も変わっている気がして。

■ラジオで人生が変わった(心が震えた)瞬間

太田光のサリンジャーと柳田国男の話から文学にハマった

 大学は文学部だったんですけど、文学部を選択したのはラジオの影響だったんです。小説にハマるキッカケもそうなんですけど、『爆笑問題カーボーイ』の中で太田さんが好きな本について熱く語っているのを聴いて、そこから熱心に小説を読むようになりました。それまでは児童文学みたいなものばかり読んでいたんですけど、いわゆる純文学にハマるようになりましたね。

 印象に残っているのは『ライ麦畑でつかまえて』を書いた(J・D・)サリンジャーの話。記憶があやふやなんですが、「長年、隠遁生活を送って新作を出さないサリンジャーはどうしているんだろうね?」なんて話を太田さんがしていて、その流れで本の中身も説明してくれたような気がします。僕はサリンジャーの存在を知らなかったんですけど、それで興味を持ちました。太田さんが「俺にとっての文学はこういうもんなんだ」と話してくれた時もありましたし、太田さんが挙げた本を読んでみて、自分も文学に触れるようになり、それが大学で文学部を選ぶことに繋がりました。

 あと、民俗学者の柳田国男の話も記憶に残っています。太田さんは小林秀雄の講演録を聴くのに一時期ハマっていて、そこに出てきた柳田国男の話をしたんだと思うんですけど。

 学生時代、柳田国男は庭にある祖母を祀ったほこらが気になっていて、ある日、誰もいない時に恐る恐るその扉を開けてみたと。そうしたら、中にはろう石が入っていて、それを見た瞬間、異様な気持ちになり、青い空を見上げたら、星が輝いているのが見えたという逸話があるんです。ヒヨドリの鳴き声が聞こえてきたから我に返ったけど、もしそれが聞こえなかったら、おかしくなっていたんじゃないかと言っていたらしくて。

 その話を太田さん経由で聞いた時に、柳田国男の狂気スレスレの感受性みたいなものに凄く憧れたのを覚えています。2014年頃の放送だったと思うんですが、当時の僕は作家になりたいと考えるようになっていて、でも幸か不幸か、僕にはそこまでの狂気はないと自覚はしていて。周囲の友人を見ても、芸術的な才能を発揮している人にはそういう部分があり、未だに羨ましく思う部分があります。僕は宮崎駿の『風立ちぬ』も凄く好きなんですが、狂気に近い感情で何かに向き合う人に今でも憧れているのは、太田さんの話がきっかけですね。

 ただ、自分も先日までシステムエンジニアをやっていたんですけど、同人誌作りを始め、雑誌を作ることにハマってしまいまして……。今は仕事を辞めて、今後のことを模索中です。学生時代も編集者になりたいと思っていたんですけど、就職が上手くいかずにエンジニアの道に進んだ経緯があったんですね。編集者になりたいという気持ちの出発点は太田さんの話で、そこが同人誌作りに繋がったと思います。そういう意味では人生が変わった瞬間でしたね。

■自分がパーソナリティになったら、番組のテーマ曲は何を使う?

ラジオに最も合う銀杏BOYZの『夢で逢えたら』

 放送部時代に先輩のあとを継いで、自分もラジオ番組をやりました。文化祭の演し物みたいな形でやったんですけど、ベタなんですが、その時は『ビター・スウィート・サンバ』を使いましたね。

 今、自分で番組をやるなら……『ビター・スウィート・サンバ』はもう使ったので、今度は『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』で使っている銀杏BOYZの『夢で逢えたら』がいいです。これって一番いいラジオのエンディング曲だと思うんです。番組終わりに一番合うなって。これよりもいいラジオに合う曲は出てこないですよ。今、昔の音源を聴いても「やっぱりメッチャいいなあ」って感じます。

■私にとってラジオとは○○である

私にとってラジオとは「“未知”と出会わせてくれるもの」である

 僕にとっては「“未知”と出会わせてくれるもの」ですね。『カーボーイ』がまさにそうなんですけど、“お兄さん”が自分の知らないものを教えてくれたような感覚があって。例えば、中学生になって性に対する興味が出てきた時も、ラジオで「そんなワードがあるんだ」みたいなことを教えてもらったんですよね。伊集院さんが「子供の頃、エロテープをすり切れるまで聴いた」と話していた時は衝撃的で、「そんなものあるんだ!」とムチャクチャ驚きました。そういう部分でも「未知との出会い」ですね。

 「ハガキ職人がテーマの同人誌を作ったのに、お前、そんなにラジオを聴いてないのかよ!」と思われるかもしれないですね。たぶん僕に合う番組もあるんだろうけど、深掘りができていないところがあるので。でも、これから死ぬほど笑う番組が見つかるかもしれないから、それと出会いたいとは思っています。死ぬほど笑う経験をもう一度したいなって。

 今はラジオという形式を借りて、ポッドキャストや配信アプリもあるじゃないですか。ラジオは普遍的な魅力を持っていると思いますし、多様になったツールを活かせば、新しい番組に出会えるんじゃないかと。

 ラジオリスナーってながら聴きができる人・できない人に分かれますよね。僕はながら聴きができなくて、勉強しながら聴けなかったし、コロナ禍で在宅勤務になった時も流していたんですけど、ずっと聴いてて仕事をしてないか、もしくは仕事をしてて全然耳に入ってこないかどっちかだったんです。

 他のことをしながら聴くと全然入ってこないんですけど、じゃあ、ラジオだけを聴くとなると、手持ち無沙汰になっちゃって。学生時代と違って、今は手もとにパソコンもスマホもありますし、自由になりすぎて選択肢がたくさんあるから、なかなかラジオを選びづらいというところはあります。ラジオを聴くことと組み合わせがいいものが見つかればいいんですけど。

 たぶん、生活リズムに組み込まれてないだけなんですよ。人間って気づいたら同じことばっかりしているというか、生活リズムにないことはなかなかしないじゃないですか。生活サイクルが変わったら、聴くようになるのかもしれません。

 通勤時間が長いとか、逆に不自由な環境に身を置くほうがリスナー生活としてはいいのかもしれませんね。今はパソコンやスマホが発達しすぎて、どこでも何でも自分の好きなことができちゃいますけど、ラジオの魅力って反対に不自由さにあるような気がして。そういう環境にもう1回身を置いたら、もっとハマる感じがします。

 僕はイヤフォンがあまり好きじゃなくて、ワイヤレスイヤフォンも持ってないのですよ。だから、そういうものを買ったらいいのかもしれないです。実は単にツールがないだけかもしれないですね(笑)。単純にAir Podsを買ったら解決するのかもしれないです。

 同人誌を作って、詳しくなったから、今後もラジオと関わっていたいんですよね。せっかくだから、俯瞰的にならず、昔にこだわらず、新鮮な気持ちでラジオについても詳しくなっていきたいなと思います。
(取材/構成:村上謙三久)

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