見出し画像

五大商社を1人で2つも作ったひと


日本の五大商社といえば、
「三菱商事」「三井物産」「伊藤忠商事」「丸紅」「住友商事」
です。

三菱商事を作った人は、
もしかするとご存知、
岩崎弥太郎です。

五大商社を一つつくるだけでも
ものすごいことですが、


二つもつくった人がいたら
その人のことは
きちんと覚えていないといけませんね。


それでは、クイズ!
五大商社のうち、どことどこの商社が
同じ人によって作られたでしょうか。





3,





2,





1, 





正解は、「伊藤忠商事」と「丸紅」です。



この2つの商社は
実は同じ人によって
作られたものだったのです。



それでは、
その敏腕経営者は
何という名前でしょうか。



その名を、
伊藤忠兵衛といいます。


この方は、ほとんど世に
知られていないのではないでしょうか。



今回は、余り知られていない
伊藤忠兵衛の生涯と彼の哲学を
追ってみたいと思います。


産まれたのは商人の国だった


伊藤忠兵衛さんは1842年、
明治政府が成立する25年前に、
近江(おうみ)、昔の滋賀で産まれました。

彼の生家は
呉服の卸小売をしながら、
自作農をしていたそうです。


近江というのは、
じつは日本を代表する
商人の国で、

滋賀から商品を地方に売りさばき、
また地方の商品を仕入れて滋賀周辺で売りさばく、
持下り商い、通称ノコギリ商いが盛んだったそうです。



近江商人の「三方良し」というのは
聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。


売り手、買い手、世間の3者
皆喜ぶような取引をすることが
大切であるということです。


忠兵衛17歳、行商人として独り立ち


父のすすめで、
家業とは独立した商売を
0から造りなさいと進められ、

彼は叔父から50両を借りて、
麻布を西国に売りに行く商売を始めます。


翌年に長崎まで行ったとき、
すでに鎖国が等に崩壊していた
幕末末期の海外貿易を目にして
大きな衝撃を受けたそうです。


忠兵衛31歳、大阪で呉服屋さん「紅忠」をオープン


このころから、
その手腕を発揮して、

綿糸卸業、毛織物業、
米国向け雑貨輸出業、
銀行、倉庫、保険と

60歳で亡くなるまで
様々なビジネスを手掛けたそうです。


商売は有無を通じる菩薩の業


忠兵衛は、熱心な仏教徒だったそうで、
店員に仏教を信じるよう熱心にすすめていたそう。

彼は商品を必要な人に届ける商売は、
菩薩の仕事だと信じていました。


ちなみに余談ですが、菩薩(ぼさつ)
というのは修行中の人のことを指します。


利益三分制、店員は共同経営者


近江商人は、古くから
三ツ割銀という仕組みで
利益を分配していました。

利益を3分の1ずつ、

「借金の返済」、
「会社の利益積立」、
「店員へのボーナス」
としていました。

そして、店員とは主従関係ではなく
事業の共同経営者と考えていました。

全部署合同の会議を開き、
若者の意見を積極的に取り入れ、
年功序列ではなく実力主義の評価制度としていました。

「真の自由があるところに繁栄がある」


伊藤忠兵衛は、
真の自由があるところに
繁栄があると言っていたそうです。

それまでの江戸時代の
ヒエラルキーや封建制とは大きく異なる
新時代の考え方を感じますね。


戦後の財閥解体で、「伊藤忠商事」と「丸紅」に


戦後、GHQの命令で
日本の財閥は解散や分割を命じられました。

伊藤忠財閥もその影響で、
「伊藤忠商事」と「丸紅」に分割されたそうです。

この2つの財閥は、
現在五大商社の売上3位と4位を占め、

その売上を合わせると、
1位の三菱商事をも上回ります。

もしかすると岩崎弥太郎よりも
もっと知られても良い経営者かもしれませんね。




本記事はWikipediaと
近江商人学入門を参考に書きました。

近江商人の「三方良し」に代表される哲学、
そして一人ひとりの隆盛と没落が描かれていて
面白い本ですよ!