wearing note #3 髪型についての諸所

・高校生の頃から髪型が半年以上続いていない
・変え続けることが重要
・美容師を選ぶ際に、帽子を被ってる人は(ちょっと)信用していない

 今日髪の毛を切ってきた。今回の髪型は3月にベリーショートにしてから少しずつ伸ばしているものだ。とは言え、まだ額の半分までしかないが...
 思えば10年ほど髪型が安定した試しがない。ウルフカット、アシンメトリー、前上がりボブ、パーマ、坊主、胸までのストレートワンレングス、ロングのパーマ、前下がりボブ、坊主、ソフトモヒカン、ベリーショートのパーマ、グラデーションボブ、レイヤー、斜めの変形ソフトモヒカン、7:3、金髪の7:3、パーマネントボブ、サイドとバックを全部刈り上げてのちょんまげ、パーマネントボブ、ベリーショート、大体10年間でこんな感じで変遷した気がする。細かい部分も言えばカット技法も変えてもらったり、レザーカットを導入したり、あの手この手で髪型を変えてもらっている。迷惑な客だな。
 自我が芽生えてからの美容師さんは、はじめに京都時代のKさんとても美人だった。仲が良くて引き笑いが移った。僕の引き笑いはこの人のせいだ。思えば女性の美容師さんに担当についてもらったのはこれが最初で最後だ。
 美容専門学校時代の東京の某B店のMさんとKさん。思想的には色濃く受け継いでいると思う。この店舗のオーナーは有名な技法を開発した人でまぁ大概なところもあるけど、尊敬はしている。
 同じく専門学校時代の京都にいた時代に切って頂いていたKさん。とても気の良い真面目な人で、共に僕を実験台に技法と理論の研究を手伝って頂いた。現在髪を切って頂いている下北の某店のTさんが5人目でかれこれ4年近く切ってもらっているのではと思う。
 Tさんの店舗には僕の思想的な中心であるVidal sassoonのカット理論書を置いて頂いて、たまに切ってもらいながらやっぱ原点はこれだよねみたいな話をしながらゲラゲラ笑っている。大学時代は数年間自分で髪の毛を切っていた。

 しばしば「美容師って自分で髪の毛が切れるの?」という質問がくるが、ここではっきりと言っておこうと思うが、おおよそできる髪型は2,3種類しかない。というのも、美容技術の基本(sassoonカットとする)は目で見て同じ長さに切っていくことで、それぞれの髪の毛の繋がりを接続して髪型を作っているからだ。
 自ずと、見えない場所は切れないためまともな髪型が作れるわけないのである。にも関わらず、自分で髪の毛を切っていたのは、髪の毛を切る行為に付随する、自己のイメージを他者に託すという行為が出来なかったからだ。
 僕の研究のスタートは、髪を切りに行って1時間〜2時間後にただポンと「新しい自分」もしくは「今までと同じ自分」が鏡の前に立ち現れる違和感だ。
 髪の毛を切るという行為が「切る」という動的な決定の後は、受動的な行為でそこに付随する施術段階に置いて私たちには何も出来ず、最初に曖昧な言語イメージをただ託すだけで、出来たものが本当に私たちの求めていたものなのだろうか?
 衣服においても同様ではあるのだけれど、特に取り外しの効かない身体の一部であり、身体において刺青やピアス、ネイルと同様に最後まで残るデザインである。

 まぁそういうのは置いておいて、ジャン=リュック・ナンシーの『複数にして単数の存在』を読んでよし、と思い美容室に再度いくことにした。
 僕の中で髪型を決める際にはいくつかルールがあり、信頼できる美容師を見つけてからは、
・お任せ
・髪型を変える際には思い切って変える
・ぼんやりとしたイメージの伝達
・提案は断らない
・禁止事項を設けない
・カット後のチェックで直しをしない
 ということを決めている。
 上記のルールについての思想的な背景は色々と面倒なのだけど、他者のイメージによって変化するということを受け入れるのが重要だという信仰があるので、変わりたいと思っている人にはおすすめしたい。
 また、自分のイメージはこうだというものが誰しもあるだろうが、常々そういったこだわりを捨てたいと願っているのでその願掛けとして髪型を変えるときは思いっきり変える、自分がやらないと思っているものを積極的に行なっていきたいと考えている。
 変化を恐るなという旨をかつて仕事でアイドル達に言った手前、自らの身体で実践していくというのが筋だろう。たぶん。

追記
 これも信仰のうちなのだけれど、髪の毛を扱う職業の人間が帽子をかぶるのはズルじゃない?(冒頭に書いといて触れるの忘れていた)
 

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