wearing note #8 マネキンについて

・完璧な身体の想定
・衣服について

 先日ファッション学研究会に参加してかつて自分もマネキンの研究をちょっとしようと思っていろいろと調べていたのを思い出した。
 マネキンというものが、ある数値の平均値や想定するスタイルを表現するための適切な形であれば、それは理想の身体の表象と言えるだろう。
 もちろん時と場合によって、あるいは所有者の意図によって形は変わると考えられる。僕自身はその形について興味を(おそらく身体論的な文脈において)感じていたが、昨日考えていたのは、衣服というオブジェクトを展示する際に適切な形が欲望されることについてだった。

 衣服というものが、どの状態において完璧とされるのか?これはデザイナーあるいは展示者としての欲望の問題だと思うのだけど、どうだろうか。
 そうなってくると、トルソーってなんだろうなぁなどと思ったりもする。
 完璧な身体という幻想にも、時代によってその要因も表象も異なると思うが、その上でいわばその幻想の媒介物としての衣服という線もある気がする。
 イマイチ文章のキレがないので一旦ここで寝かせます。
 

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