wearing note#5 思考の形態について

・往復書簡、やってみたい
・運命、感じてみたい
・声の文化と文字の文化に追記の余地はあるよな。

 往復書簡をしてみたい。現世では情報の流通速度が速すぎて回転速度ばっかり使わさせられている気がする。
 ここは一つ、物理距離を互いに申告して、時速12kmの8h単位でかかる日数の時間を空ける往復書簡サービスが必要である。
 「あれ気になってるんだよね。」「わかる。」だけの会話でやっぱり1週間くらいかけてもいいじゃんね。
 女の子に連絡したら「寝てた!」と1週間後に返事きて「よく寝るじゃん」って言う流れ思い出した。
 いや、ほんと「寝てた!」じゃねーんだよな。もし高校生男子にこの文章が届くのなら、絶対にそういう女の子はやめといた方がいいと伝えたい。
 よほど弁証法的恋愛を行いたいのでなければ、目と目があって運命を感じた相手にしたほうがいい。

 azumamiko曰く、「運命とは、こうだと思うことにした。」という態度の問題とのことなので、概ね気のせい。
 つまり僕の理解では運命とは、偶然的な勝利の有効活用の最大値であって、常に事後的に「あれは運命だった」としか語りえない。
 掛金を最大化するために魔法を使おうとしても上手くいかないので、配当金を大きく見せるために魔法をつかう方が有能という感じ。
 つまり、なんか「いい感じになった女の子と目が合ったことを、運命を感じた瞬間だ」ということにして物語るべきだというのが本日の結論である。
 本当か?タイトル詐欺にもほどがあるな。

 申し訳程度に思考についても書くか。
 僕自身は、批評ないし肌感覚として5000字以上の長文を書く際には、プロットノート的なものを都度作成している。
 いくつかの乱雑な文章と、決定的なセンテンスをピックアップしていき、フローチャートを作る事がある。
 大体、章頭と節頭を埋めていき、結論は仮のものを置いておいて、目印をつけたら書きながら考えるというやり方である。
 プロットノートは、そのまま研究ノートと言い換えてもいいのだけれど、どうも決定的な研究ノートの制作に取り掛かれていない。
 思考形態が各ワードファイルとフォルダにわかれていて、最悪な感じで散らかっている。

 現状ファイルの整理というツリー型の思考形態があるが、もう少し往復書簡みたいな形で横軸の、帯状の思考形態も準備してもいいなぁと思っている。
 wiki的な形で編集可能なものではなく、テクストを媒体としてコミュニケーションの中で時間をかけて思考されるものの可能性って明確にないもんかなあというところ。
 ということで、某津和野の人とやりたいなぁ(チラッチラッ)という終わり。もちろん山形の先輩でも大歓迎です。最終的に石板に彫りこんで500年後とかに発見されたい。

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