傘の男:トイレには行かない方がいいんじゃないかなぁ、というお話

 トイレには行かない方がいいんじゃないかって話なんですけどね、得体の知れない物に出会ってしまったら、トイレに行くのは悪手だと思うんですよ。

 話を持ってきたのはA君男性なんですけど、仕事が終わってまぁまぁ普通の時間に家に帰ることになりました。普通の時間ってのは別に遅い時間でもないってくらいです。
 電車に乗って、家の最寄り駅で降りたんですけど、トイレに行きたくなりました。もう少し早ければ駅のトイレで済ませるのですけど、もう改札を出てしまいましてね、駅ビルにあるトイレは迂回しないといけないので、駅ビルを出たところにあるトイレでしようと。
 駅ビルに隣接しているので大勢の人が歩いている中、こういう立地ですから二階なんですけど、通路を歩きまして、そのまま下りエスカレーターに乗りましてね、
 人は大勢いるんですけど、混雑してるってほどじゃない、エスカレーターだって普通に一段間を空けて立ちまして、なんの意図もなく前の人を見まして、ちょっと目を疑ったんだそうです。
 前の人、傘を差しているんです。
 別に雨なんて降ってませんし、そもそも屋根がありますし、日傘でもない、いわゆるこうもり傘と言われる厚手で黒くてがっしりしている傘です、差してまして、(あれ?)と。
 さらに(あれ?)というのが、前の人、差した傘を前に傾けているんですね、なのでA君には前の人の後ろ頭が普通に見えるんです。
 見えるんですが、前の人、耳にかかってるゴム紐が口の方に下がっているのではなく、まっすぐ前に延びている、その延びた先に紙があるんです。数秒経ってようやく(あぁ、お面をつけているのか)と気がつきました。
 男の人のさらに前の人が気づいているのかは解りませんが、上りエスカレーターですれ違う人たちは、ちょくちょく前の人を気にしていて、(なんだ?)てくらいの顔です。
 エスカレーターですから数十秒程度で降りきりまして、男の人はのっそりのっそり歩いて行くんですけど、A君にとっては男の人よりもトイレです、エスカレーターを降りてすぐのところにある公衆トイレに駆け込みまして、チャックを下ろして用を足そうとしましたら、後ろを誰かがのっそりのっそりと歩いて個室に入っていったんです。
 扉が閉まると同時にそののっそりのテンポが(あれ?さっきの人じゃね?)とギョッとしたんですが、確認のしようがない、なんとも言えない思いでおしっこをしていたら、個室から迫力のある声で
「あなた、見ましたか?」と言ってくる。
 びっくりしてトイレの中を見回したんですが、A君と個室に入っていった人の二人しかいない、また
「あなた、見ましたか?」と迫力のある声がする、
「え?僕ですか?」と言うと、また
「あなた、見ましたか?」と繰り返される、
「い、いえ!見てません!」と叫んで、慌ててファスナーを上げてトイレから逃げ出したんだそうです。

 そのまま家に帰りましてね、翌日会社に行って、同僚に変なことがあったと説明して、同僚だって「ふぅん、大変だねぇ」くらいしか言いようがないんですけど、その日は昨日よりはちょっと遅い時間に会社を出ましてね、いつもの駅で降りるのはちょっと怖いんで、一つ前の駅で降りまして家に向かって歩きまして、やっぱり人は大勢います、いつも通りの光景なんですけど、ふとすれ違った人の歩き方が昨日の男と同じ歩き方じゃないかと思って、足が止まったんですって。
 すると背後から
「やっぱり見てなかったんですね」と迫力ある声がして、A君しばらく動けなかったんですって。

 で、別に何もされなかったんだそうですけど、見てなかったからでしょうね。

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