斜め上の才能は、月を空に開いた穴にすることがある/ 第三回『集まれ!怪談作家』応募作品

 Aは小学生の時から絵を描くのが好きで様々な絵を描いていたが、美大を卒業した後に、なんとかいう水墨画を見て黒をテーマに描くようになり、様々な作品を描いた。
 水墨画では「墨に七彩あり」とか「五墨六彩」と言うらしいが、それが西洋絵画だとどうなるのかは解らない、Aもいろいろ考えて様々な黒を描いた。
 カラフルな鉱石を砕いて黒に練り込んだ作品は星空をキャンバスに落とし込んだようだったし、黒から白へのグラデーションを作品に昇華したものもあった。人や物を飲み込む黒とか、禍々しいモノから人を守る黒い覆いとかあったが、藝術に疎い俺は(へぇ!)とまでは思えても、これらの絵がカネになるのか、画家の間で評判はどうなのかとかはさっぱり解らなかった。
 Aは藝術に命を注ぎ込んだのだろう、だんだんと痩せ衰えて、しかし目はギラギラと、筆の動きは繊細だったり機敏だったり緩急が激しく、こいつもうすぐ死ぬなーと思えるようになっていった。
 とうとうベッドから起き上がることが出来なくなり、筆を持つこともできなくなって家族に看取られるようになったのだが、俺を呼んでこんな頼み事をした。
「この絵だけは誰が持っているか解らなくなることは避けたい、お前が持っていてくれないか」
 三十センチメートル四方の小さな絵だが、黒一色、それもそんじょそこらの黒ではなく、真っ黒の中の真っ黒、ただの黒ではなく暗黒の異世界を覗いているような真っ黒である。Aにとって黒の境地と言っても過言ではない見事な黒なので、喜んで受け取った。
 Aが死んで、Aの懸念どおりAの作品は四散し、美術館が持つものもあるし、個人が所持するのもあるし、どこにいったか解らないものも多数あった。

 俺はこの絵を額縁に入れて壁に飾った。
 しばらくして部屋で妙な音がすることがあることに気がついた。
 眠りに落ちるときとか酒にひどく酔ったときに、雨の降る音が聞こえるようになったのだ。
 大雨ではない、幾筋もの雨音が不規則にポツポツポツポツ聞こえていて、(あぁ、雨が降り始めたのか)と思いながら眠ったり前後不覚になったりする、起きるとそんなことを忘れていたのだが、あるとき洗濯物を窓に干したままこれがあって、目が覚めて洗濯物は濡れていない、小雨だったからすぐ乾いたのかな?と思ったが、夜間の天気図を見ても雨が降った記録がない。
 本当に局地的な雨だったのかな、とは思ったものの、その後も洗濯物なしに雨音を耳にして、夜って結構雨が降るんだな、と思っていた。

 会社の同僚が
「お前、ずいぶんやつれているけど、大丈夫かよ」と言ってきた。
 何を言ってるんだ、俺は元気はつらつだぞ、と言ったのだが会社のみんなが「いやいやいや」と言ってくる。鏡を見ても変わったふうには見えないのだが、他人にはげっそりとやつれて危ないと見えるのだという。
 仲の良い同僚数人が「ちゃんと飯を食え」とカネを出してくれて上等なレストランに行ってくれた。その席で
「うーん、前と変わったことと言えば……」と雨の話をすると、
「雨なんか降ってないだろ、なんかおかしいよ」と言われたので、こんどは絵の話をすると、みんなその絵を見てみたいと言い出す。
 食事を奢ってもらった礼も兼ねて部屋に連れて行くと、みんなこの黒の見事さに感嘆の声をあげる。
 そして俺以外にも雨の音が聞こえるかとその晩はみんな泊まったのだが、朝になって聞こえた不思議だの大合唱である。
 みんな不思議がるのだが今日も仕事がある、一旦帰って着替えたり髭を剃ったりしようと出て行ったのだが、すぐに一人が引き返してきた。
「この絵……、処分した方がいいかもしれない」
「なんで?」
「俺、好きで怪談をいろいろ聞いているんだけどさ……」
 言いにくそうに口ごもる。
 俺も急かさず(ん?)と先を待っていると、そいつは覚悟を決めて言った。
「みんなポツポツポツって雨音が聞こえるって言ってるけど、俺にはポッポッポッって破裂音に聞こえたんだよ。何人ものポッポッポッ」。

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