浮いた者同士:トイレには行かない方がいいんじゃないかなぁ、というお話/ 第四回『集まれ!怪談作家』応募作品

 トイレには行かない方がいいんじゃないかって話なんですけどね、時と場合によっては大勢がいる部屋の中で漏らすことがあっても行かない方がいいんじゃないかと思うのですよ。

 話を持ってきたのはAさん男性で、五歳の時の話だっていうんです。
 夏休みになると一族の全員が田舎の本家に集まる習慣がありまして、Aさんも連れて行かれたんです。
 朝早くお父さんの運転する車に乗って、お母さんと生まれたばかりの弟が後部座席に座って、Aさんは助手席に座り、晴れた青空の下、車が走ります。
 午前中にどこかの羊牧場に寄りまして、別の方角から来た親戚と合流します。そこで遊んで、昼食を取って外に出たとき、もう一台親戚が合流します。親戚との交流のためと言われAさんは最初に合流した車に、お母さんと弟は次の車に乗って出発します。お父さんが運転する車には従兄弟やもう一台の車で来た大人が乗ります、三台とも高級車です。Aさんの乗った車の運転手は喋る喋る喋る、別の同乗者と運転中ずーっと話をしていてAさんはときどき話を振られて短く返事をするだけだったそうです。
 三台の車が走って数時間、どこかのフィールドアスレチックに到着しまして、また合流した豪華な車数台から降りた従姉妹のお姉さんや子供達と遊び始めます。
 その日の夜はどこだかホテルに泊まりまして、さらなる合流がありまして、ホテルの大レストランでやっているイベントをみて、そのまま部屋に行って寝ました。
 翌朝、午前中ずっと山道を走って本家に到着したのですが、その本家の大きいこと大きいこと、もっとあちこちから集まった一族全員が乗ってきた高級車全てが駐車場に止まり、みんな屋敷の中に入っていきます。
 広い広い大広間があって、子供心に百人いるのかなー、なんて思って。
 泊まる部屋に案内されたあとまた大広間に戻り、偉いお祖父さんの短い挨拶があって夕食となります、その豪勢な夕食が終わって宴会状態になると、大人達は子供をほっぽって仕事の話から自慢話から金儲けの話を始め、五歳の子供にとってカオスにしか思えない、異様な空間になったそうです。
 お酒の臭い、周囲をはばからない大声大笑い、あまり見たくない品格とか、お母さんは弟の面倒しか見られないし他の子供達はAさんに話しかけてこないとかで、(早くここから出たいなぁ)と思っていたんですけど、

 夜の九時になったら神様が来るから挨拶をしないといけない

 と言われていました。
 腕時計を買ってもらっていないAさん、外に出たら九時に戻ってこられる自信がなかったんですって。
 大広間には大きな時計があったんです、が、この屋敷にはなんだかそぐわない、事務所の壁に掛けられる、大きな円形のクォーツ時計で、音を立てない秒針の動きを見ながらやかましい宴会の中一人でジュースを飲んだりアイスを食べたりフルーツを食べたりして、そうしているうちに眠くなりまして、うとうとしてしまい、はっと目が覚めると八時三十分です。
 あー、あと三十分かーと思っていたのですが、トイレに行きたくなったんですね。
 大丈夫だろうと思っていたんですけど、九時に近づくにつれトイレに行きたい気持ちも強くなっていったんです、それでも大丈夫だろうと。
 大人達の喧騒もどんどんヒートアップしていて、人びとの隙間からあのお兄さんとお姉さんが二人で話しているのが見えたりする。
 偉いお祖父さんが挨拶していた場所でおじさんが踊りを踊ったりおばさん達が歌を歌ったりしている。
 あちこちで自分の成功を大きな身振り手振りを交えて自慢している大人がいて、その間からアッハッハ、ガッハッハと大きな笑い声が聞こえてきたりして、
 そんな中九時になりました。
 しかし何も起こらず大人達はそのまま狂騒を続け、誰も時間を気にしない。
 Aさん、(あれ?変だな?)と思い、(今トイレに行っちゃ、駄目だよな)とは思うのですけど、十分経って二十分経って三十分経って、状況は何も変わらない、大人達の声がさらにもう一段大きくなるのですがAさんはそれどころでなく、もうトイレに行っていいか、まだ我慢しなければいけないのか、神様ってなんなんだっけ?もう来てるの?まだ来ないの?と苦しみます。
 さらに十分、二十分何も変化がなくて、とうとう九時五十五分、大広間を飛び出してトイレに走りました。
 扉を開けたとき、何故か部屋の中の全員が「あ!」と言ったのが解りました。
 何故か一人一人の「あ!」が聞き分けられたのですが、Aさんにとってはそんな不思議な感覚よりもトイレに行く方が重要です。
 トイレで用を済ませて(あーすっきりした)と大広間に戻り、扉を開けるまでそれ以外何も思わなかったのですが、本当は怒られるのだろうか、神様はもう来たのかと不安に思うべきだったのでしょう、
 戻ると……
 誰もいなかったそうです。
 お父さんもお母さんも弟も、お兄さんもお姉さんも偉いお祖父さんも、あれだけ大広間にいた大人も子供も、誰一人いなかったんだそうです。
 時計はもう十時を指します、大きくて丸盤で、秒針の音のしない時計で、静かになった大広間と、外から聞こえる蛙や虫の声と、あとお酒や今までいた人たちの臭いがするばかりでした。
 食器も酒器もお酒の瓶も普通に置かれていて、誰かが暴れたとかみんなが逃げ出したというふうでもありません。
 みんなどこに行ったのか、お父さんもお母さんもどこに行っちゃったんだろう、そんなことを思いながらも大広間をそのまま後にして、あてがわれた部屋に戻って一人で寝ました。
 翌朝、宴会の準備を手伝いに来ていた近所の人たちが後片付けにきまして、Aさんからみんないなくなったことを聞いて警察に連絡、全員の失踪が事件となったのですが、Aさんの目には誰も慌てたり心配がっていたようには見えなかったそうなんです。
 家族だけでなく一族全員がいなくなって、来なかった人たちは外戚なのでAさんを引き取るのもごたごたしたとかで、その大変さはあまり記憶がなく、結局よく解らないけど親切な人に引き取られ、中学生になってからようやく自分が置かれた状況に自覚を持つようになったんだそうです。

「今考えてみれば、あのときの大人達もみんなトイレに行きたかったんでしょうね、でも何故だか行けなくて、尿意便意を堪えるためにことさら大きな声を出したり体を動かしたりして我慢していたんでしょう、だからあそこで私が漏らしたところでみんな仕方がないと見過ごしてくれたんじゃないかと思うのですが、五歳の子供にはそういうの解りませんからね、他の子供達はどうだったのかな。
 事業に成功している人で独身だった人が結構いて、私のところにずいぶん遺産が入りましてね、贅沢をしなければ余裕で暮らせるんですけど、みんなどこに行ったのか、その真相はいくらお金を積んでも解らないでしょうね。
 家族を事故で失ったわけでなし、親に捨てられたわけでなしで、誰を恨むこともないし、こんな喪失感をどう表現したらいいのかも解らない、そして神様ってどんな神様だったのか解らないんですよ。神社の神様か、仏様のような神様か、養蚕とか畜産では虫や動物の神様を祀っていますよね、うちの一族の神様がどんな神様なのか、全く解らないんです。資料もないし近所の人たちもそれは知らないと言っていて。
 もう全てが謎で、不思議な感覚です」

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