神仏習合を守ったお稲荷様
神仏習合を守ったお稲荷様
大きな鳥居から岡山で有名な最上稲荷のご本尊は最上位経王大菩薩(最上さま)です。
最上さまのお姿は、白い狐にまたがり、左手に稲穂、右手には鎌を持ち、稲穂は実りを、鎌は災いをなぎ払う意味があります。
開基は報恩大師にゆかりがあるとされています。
大師は岡山県内の備前・備中には開基とされる寺院が多くあり、人々の崇敬を受けています。
また、「魔訶上人」(偉大な人)と呼ばれ尊敬を受けています。
大師は幾度か孝謙天皇の病気平癒の勅命を受け、そのたびに功徳がありまました。そのため報恩大師の称号と備前四十八ケ寺建立の勅許を得たといいます。
そんな平癒の祈祷の際に龍王山中腹の八畳岩で法華経普門品の呪を唱え、21日目の早朝に白狐に乗って応現されたのが最上さまです。
報恩大師は自ら刀をとり、ご尊形を刻み、お祀りし供養したところ、天皇の病は快癒されました。
桓武天皇も自らの病気平癒を祈願した報恩大師に報いるために、寄進の申し出をされました。その際に最上さまより「備中国、龍王山麓に堂宇を定むるべし」との宣告を受け、堂宇伽藍が建立し、「勅願所龍王山神宮寺」となりました。
後に戦乱に巻き込まれ、堂宇が消滅、後に「稲荷山妙教寺」となりました。江戸時代は信仰を集めますが、明治になり太政官布告(神仏判然令)により、寺は寺、社は社と分けられるようにいわれました。
しかし、当時の山主(住職)が、社の歴史を語り、特別な許可を得て、残り、現在も神仏習合のまま信仰を集めています。
VOL.25 道
https://plugweb.jp/3436/
伝説の報恩大師 | 宗教新聞
https://religion-news.net/2020/10/17/okayama768/
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