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石蛭

石蛭 甲斐傳説集
 文永の頃、修験者の肥前阿闍利恵朝 というものがおり、東三十三カ国の頭領として小室山を営み勢力があった。
 日蓮は身延山へ上る途次この地を過ぎ、小室山の登り口 土録(ドロク)に来られた。
 路傍に左右一丈二尺、前後六尺、高さ七尺の大石あり、その上に坐して眺めると、
 丁度五月二十八日、田植えの最中で、早乙女が手足に喰い入る蛭を殺していた。
 日蓮は「一匹の虫を殺しても殺生の罪になる。余がこの虫害を除いてやろう」と祈り呪詛して蛭が人血を吸うことを封じた。
 目前にこの法徳を見た男女は日蓮を合掌礼拝して帰依した。

 恵朝はこれを見て面白くなく、また日蓮が甲斐の中で勢力を伸ばすのを止めるため、法論を挑んだが敗れ去った。

 この蛭と日蓮の話は千葉にもあります。
 蛭を捕まえまじないで石にすると、それを田に捨てるようにいいました。それからは蛭は血を吸うことはなくなり、薬として使われたといいます。


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