49. つぶれてほしくないせんべい屋。

 2020年、大変なことになってしまった。言わずとしれた新型肺炎である。5月、駅のコンコースの店はすべてシャッター、居酒屋やレストランも、一部を除いて閉まっているので、帰宅時の駅前は異様である。開いていても、この時期に居酒屋に入ろうとは思わないが。

実は、4月の末で、最寄駅の近くの、お気に入りのハンバーグ屋が閉店になってしまった。店の規模の割に客が少なく、いや、ゆったりとしたおしゃれな店内で、料理は1000円程度でたっぷり。売りであるハンバーグも、売りだけあって香ばしく、ジューシー。さらにサラダバーがセットになっているので、サラダやスープ、ソフトドリンクにソフトクリームまで食べ放題である。夜はお酒が飲める様になっており、モスコミュールを頼んだら、炭酸分が全部ウォッカというとんでもないものがでてきたことがある。もちろん作り間違いであった。

今でも帰り道に、ひょっとしてまた開店するんじゃないかと覗きはするが、「4月末をもちまして」という貼り紙はそのままだ。

また、5月の半ば、入ったことのない、ちょっと高級そうなイタリアンレストランが、文字通り看板をおろした。前日まで普通に店が有ったのだが、朝には店の外に出されていたテーブルや植木が消え、看板も何も無くなっていた。店が潰れる時は、突然潰れるのだ。

*

潰れてほしくないが、今回の件で危ない店はいくつかある。

例えば、実家の近所にあるせんべい屋である。もともと家族でやっていて、最初に目にしたのは、2008年頃。商店街のみやげ物屋の店頭にビニール袋に入れられ、輪ゴムで縛っただけという雑な包装で、「鬼あられ」という名前で売られていた。ラベルもなければ賞味期限も書かれていない。八ツ橋だの何だの、K府の名物は、配りにくく日持ちしないので好きでなかったため、目新しいので3袋買った。どうせ人気もないだろうからと、帰りの新幹線で開けたところ、山椒味が強い。3粒ほど続けて食べると、舌がしびれて感覚が無くなる。

自宅へ戻った後、開封済みも仕事中に自分で食べようと、3袋全部を職場に持っていき、別の居室に「置いときますね」と放置して1日。仕事中に突然、技術作業員が飛び込んできた。

「あのあられ! どこで買えるんすか?」
えっ?
「あれ、開けた瞬間に、部屋の人が全部食べてしまって、全然食べられなかったんですぅ」
なるほど。

「開いてるのでよければ、ありますけど」
新幹線で開けたっきりの袋を取り出す。

「やったー、貰っていいですか?いただきますー!」
あれ?そういうのだっけ?

その後、改めて話を聞いたところ、絶妙な山椒味で、舌にちょっとだけしびれが来るのが、止められなくなるらしい。通販を調べたが、袋にも何も書かれていないため、そもそも店の名前がわからない。

*

次の帰省時、買った店に行くも、予想通り、すでに売られていなかった。店で聞いてみたところ、商店街の奥の外れに店舗があるとのこと。しかし、向かってみると休みであった。

改めて翌日訪れると、ビルの1階の暗い一角で、つげ義春『ねじ式』の金太郎飴工場か、札所のような雰囲気で、一斗缶の口を切った入れ物に、例のあられが乱雑に突っ込まれて売られている。1袋300円。日曜祝日は休み、もちろん、ややきれいなパッケージ入りのものもあるが、だいたいが工場直送のバルク品だ。山椒味の鬼あられを10袋ほどと、七味味を2袋、店番のおばあさんに渡す。

「えー、こんないっぱい買いはんのん。じゃあ、そっちの箱から3つおまけするから、好きなん取って」
と、割れせんべいなどの箱を指差す。こちらも1袋300円。ええんかいな。

「通販やってないんですか?職場にすごい好きな人がいるんですわ」
「通販なあ、前はやってたけど、今は、やってへんのですわ」
予想通りである。

「前、他のお土産屋さんとかにも置いてはりましたよねえ?」
「あー、あれね、社長の息子が始めたんやけど、売れへんからやめてん」
「ああ、そうなんですか、ここも近いからいいけど」
「ここな、日曜休みやから、平日に来てな」
「何時まであいてますのん?」
「5時半」
「早っ!」

職場に持参したあられは、自宅用に一部原価で買い取る人もいて、あっという間に無くなった。

*

そんな感じで2年くらいだろうか、帰省するたびに、その店に立ち寄るようになった。
ある年の帰省時、店に向かうと、シャッターが降りていた。「○月せんべい○町店 閉店しました ご用の方は本店へ」という張り紙がされている。

両親に聞くと
「そうそう、2週間くらい前からかな、閉まっててん。おいしいの?あそこの」
「めちゃくちゃ人気で、持ってったら買う人もいるで」
「一度食べてみんとアカンな」
食べてへんかったんかい。

そういうことで、平日の昼間、汗だくで本店に向かう。とはいえ、実家から自転車で10分ほどだ。明るいが、乱雑で埃っぽい店内。○町店のようなつげ義春感はないものの、知る人ぞ知るという、すすけた店である。店番は白衣のおじいさん。すすけ加減が店のセットのようだ。

しかし、めあての「鬼あられ」は売られていない。これは、どういうことなのか?

「あの…鬼あられのサンショはないんですか?」
「あーあれ!あれ好きやったん?機械が壊れたんで、もう作れへんねんわ」
「えっ、じゃあもう売ってないんです?」
「あ、いや、ヨソで作れんことはないけど、作る?」
「うちの職場、あ、S県なんですけど、めっちゃ好きな人がいて、帰るたびに『買ってきて』って言われて」

おじいさん、おそらく社長、悩む。
「ああそうー、ああいう硬いのはもう売れへんか思ったけど、そうかー。うーん…ちょっとウチでは今作れへんから、ヨソに頼むことになるし、味はちょっと変わるけどいい?」
「ええ、ちょっとくらいなら。来たとき買いますし」
「わかった、じゃあ、また作ってみるわ」

とりあえず、エビやカレーのせんべいと、われ煎餅のミックスを買う。1袋300円。お土産としては安い。

「そうかー、関東からかー。遠くから来てもろたし、そこら3つ持ってき」
3つしか買ってないから、実質倍である。

「そうそう、来たときしか買えへんから、通販無いんです?」
「通販なー、息子が一回やったけど売れへんねん。物産展みたいなのにも出したけど、あかんな」
「そうですかー、じゃあまた帰ってきた時は来ますー」
「ありがとー」

*

それから約10年。相変わらず本店しか無いが、鬼あられは50円値上がりしたものの、売っている。職場で味の違いを聞いてみたが、「変わらずおいしい」とのことだ。良かったね、社長。ただ、店番のバイトの人によって、大量に買っても、おまけをくれたりくれなかったりする。両親はカレー煎とエビ煎が気に入ったらしく、帰省すると家に1袋は置かれている。

店はと言うと、土日祝、正月、盆は休みで、営業時間が8時~17時。いやいやいや、1時間前倒しすぎやろ。さらに、大雨が降ったりすると臨時休業になるという、商売っ気がなさすぎて、わからない店だ。この騒動で「辞めましてん」とあっさり閉店しかねない店である。

2020年5月。その心配が伝わったのか、両親から、ゴールデンウィークに法事で帰省したときのみやげとともに、鬼あられがいくつか送られてきた。今のところ、まだ店は存続しているらしい。

いちおう、K市にたくさんあるフレスコというスーパーや、各種土産物店には、山椒味のあられが売られており、知らぬ間に名物の一つとなっていたようだが、例の鬼あられを買う時間が無かったとき、それらを代わりに買っていったところ「山椒が足りない」と言われるのである。みんな、味をよく覚えているもんだな。

また買いに行かないといけない。